まちづくり

まちづくり



 
  まちづくりということが叫ばれ、相当長くなりました。

  それをテーマにしたワークに参加しています。

  本をもって、ワークの参加者に向って話してください、

  そういわれて、事前にコメントを書いて伝えました。





  自分の語る時間を、いままで持たされなかった私は、

  本を語るのではなく、本を選んだ「自分」をまとめて話しました。

  3分もなかったと思いますが、その時間がうれしかった。




  本の紹介というかたちで、話す機会に巡り会えたのですが、

  月に4回顔を合わす間柄であっても、ひとり一人の価値観を

  語ることもなく、同じ時を過ごしているのです。

  人とひとのつながりは、何を目当てに言葉を交わしているの

  だろうかと、考えさせられます。





  山月記 中島 敦

  下駄屋 おけい

  朗読CDを借り、人の声が恋しくなります。

  人と会話もしない日を過ごす、毎日。

  話すことがなければ、聞くしかない。





  山月記 は、授業として学んだ記憶があります。

  ところが漢文ではないと思いますが、これが

  日本語かと思うほど、何を言っているかわからない。

  CDから語られる言葉の、漢字が思い浮かばない。

  


  下駄屋は、庶民ものというのか、言葉を理解して

  わかっているモノと想像する。

  何度聞いてみても、涙が出てきた。

  いつまで経っても、この感性をもち続けることができるだろうか。




  この経験から、肉声・朗読の文化はすたれるような気がした。

  演技の、前段階として重要な位置を占めているのに、

  その文化が大切にされていないとしたら〜。




  映像から受ける感情を、重要視するのはどうだろうか。

  表立ったことに神経を使い、ことの真実を問おうとしない。

  まさに、いまの時代をそっくり映しているではないか。

  スマートフォンは、映像を流しているだけだ。 





  コミュニケーションする時の最初は、

  個人のこと、自分のことを発言することなのに、

  意見を言うことに躊躇する、自制心が働く。

  臆病なんだろうな。