泥の河

泥の河



  原作 宮本 輝


  本を読んだことなく、何度も映画を観た。

  映画を観た時の感動が強く、原作を読むことは

  ないだろうと考えていました。

  映像の後ろに、原作者のなまえがありました。




  映像を見た時から、主人公である子ども目線が

  頭にこびりついています。

  中身をほとんど忘れてしまいましたが、

  心に残っているシーンがあります。





  朗読 松谷染佳 


  全編 140分ほどの朗読は、映画と違う感動を覚えた。

  これが原作のちからなのだろう。

  原作の内容を映像を表す、それは違うのでしょう。

  表現する媒体が異なるからこそ、映像にすべての感情を

  吸い寄せられてしまった。

  なんと単純な性格だったんだろうか、その時々の時代の風潮に

  合わせて、煽られてしまう。

  今の時代だからかもしれない、再び映像や絵に

  感情や心を奪われてしまっている。

  いっそのこと、自分の目を使わない方が、

  本当のことをみることができるのではないか。






  この歳で原作に触れてみると、子供に戻って回顧する気持ちが

  失せてしまった。

  それよりももっと、深い諦めに近い寂しさがある。

  頭に浮かぶのは、地域の学童制度にあるふれあい。

  同じ年齢の者が、同じクラスに入り学び舎で過ごす。

  競争がある、だが決してそれだけではない。




 
  映像は、郷愁であった。

  同じ地域に住み、ともに生活をする関係、

  それが友達であり、家族を作り、町をにぎやかにしていた。

  いつの間にか、引っ越し、住み替え。

  移住することが必然の社会、日本になってしまった。

  そこを住まいにする、理由と必然がなくなった。

  大きくいってしまえば、日本に居る理由がなくなった。





  年代は、昭和30年 1955年。

  戦争の陰は、うすいと思ったのですが、

  朗読をきいてみると至る所にみられました。

  いま再び、この日本を覆っています。

  さらに貧しさは、印象に残っていなかった。

  だがこの生活の貧しさは、この国の象徴でさえもある。