戦争法反対

戦争法反対



 
   駅前でビラを配り、反対をする

   そのグループに参加した。

   戦争法を廃案にするまで、

   活動が続くだろう。






   ここに至るまで、個人的にやるべきことがありすぎた。

   二回目のこのビラ配りをした感想は、

   戦争法案を許してしまった社会だからこそ、

   見えてくる様々な人の顔がある。

   ビラ配りの前でも、

   あのスマートフォンをかざしながら歩く若者。





   鬱なんて罹るはずがない。

   そう信じ切っていたが、ひきずられていく自分。

   二回目に遭遇する” 情報化社会 ”という言葉と、その誤解。

   あのスマートフォンがあれば、なんでも通じている。

   どんなことでも” わかっているはず ”と思ってしまう。





   かつて見ていたテレビ、あのCMを思い浮かべる。

   番組とCMが入り混じって、宣伝が重要なことになる。

   伝える情報が確かな番組でなければ、CMもあやふやなもの。

   スマートフォンから目の離せない、若者を見て、

   ひと昔前テレビから離れることができなかった、子を思い出す。




   かつて必要だと信じ込んでいた新聞。

   それを読む理由は無くなった。

   真実が書かれているとは、信じられない。

   信頼を失い、情報がなく宣伝文句ばかりになった。

   手短にある情報が、不確かなものばかり。

   これが、今の日本社会だから、



  
   だからこそ、生の声が出せる場所。

   生の声を聴きたいと思うのが、心情。

   たとえ反対であろうと、ヒトの声を聴かないと、

   間違いを起こしてしまう。

   そういう気持ちが出てこない、起こってこない人たち。

   その人たちだろうと、通り過ぎてしまう人を見てしまう。






   何もかも信頼できる人、信じ切れる人がうらやましい。

   そのベースを持っている人。

   それがビラを見せても、受け取ろうとしない人たちだと思う。

   無料で提供される、意見や情報をなぜか受け取ろうしない。

   信頼されない新聞情報に、法案反対は60%?




  
   ネット情報を抱えている若者だとしても、

   テレビだとCMばかり見ているかもしれない。

   ただの視聴者に過ぎない、存在かもしれず。

   ビラを受け取らず、通り過ぎる人たちを見ながら

   一つの経験をしてみた。