今、もっとも忙しい時代かもしれない
今、もっとも忙しい時代かもしれない
精神的に病んでいる、その状況を学ぼうとしている。
セミナーを組むと、新たなコースが浮かび上がる。
それを継ぎのワークに充てていった。
病んでいるのは、この道を歩んでいる日本であり、
牛耳っている権力者たちを見る、私たち自身が考えるしかない。
犯罪と政治の深いかかわり、すべてこの社会にある。
ある会合で、すべては教育にあり、先生とに関わってしまう。
という発言が挙がるが、それは早すぎると思う。
子供に何を教えるか、その責任は親でしかない。
犯罪にも程度があり、いまは最低の社会だ。
それを裏付けるのは、家庭教育でしかない。
その源は、2011年にあり、それを修正しない限り、
行き着く先は、暗黒の社会しかないと思う。
それが真実であり、事実であること。
その事実を認めることが、学問であり、この国の
社会教育として果たしていかなければならないこと。
真実であり、万民が受け入れるべき、真理となる。
核除染物質の入ったフレコンバッグを、18号台風で失くしてしまった。
雨の対策せず、堤防を壊してしまった。
除染は≪移染≫にしかならない、それは18号という自然が証してくれた。
社会の仕事として果たすことができないと、白状したに過ぎない。
コンクリートは、何もできない。
建設と破壊を何回も繰り返すのみ、それだけの意味でしかない。
その事実を理解しているかどうかは、学問であり科学の領域になる。
この国の将来を見せつける、嵐であった。
この出来事を見て、日本は崩壊にむかっているとしか思えない。
学問や科学に指針を持っていないことは、2011年を呼び起せばだれでもわかる。
まったく先が知れている、それは誰しもが解ること。
学問や科学は、多少の支援によって、いくばくか学ぶことができる。
しかし、そこに真理がなければ、経済が保証されない。
消費税を引き上げても、そこに経済の真理がなければ見えてこない。
財務省がこんなことを考えていると聞かされ、ショックを受けた。
単純で平凡な、精神的な問題を抱えていること。
それが、
この核物質の問題を、どう解釈するかということです。
フクシマは、ひと段落して通り過ぎました。
次は、関東であり、東京です。
これをなかったことだとして、人の頭を通り抜けることが
できるかどうかにかかってきます。
医療と深く関係がありますが、それがなかったとしても
精神的なストレスを抱えて生活をしなければなりません。
そして学問、科学を突き抜けて、国の経済が動こうとしているのです。
教育として継承すべき学問が、真理のない領域でことを運ぼうとしているのが、
この東日本災害によってこの目で確かめることができました。
彼らは、水という正体を理解していないのです。
関東地区からの避難者の話を聞きました。
学問をおろそかに考えている、
政府や日本人の国民性で、
社会がどっかりと横たわっているのに驚きました。