太ったおなか、太い首、太い足

太ったおなか、太い首、太い足




 
  肥満という言い方でいえない、全身そのものがまん丸。

  そういう体系の人をよく見かけるようになりました。

  社会に出て、万遍に身体を動かしておられるのでしょうか。

  皆勤で働いているように、わたしには見えません。






  同じような光景を見たことがあります。

  飛行機のエコノミーに乗り込んだ時、

  席からはみ出すように座っている、肥えた方がいました。

  社会がよくなり食生活が豊か、そして経済力に富んでいるかどうか。

  生活と個人の肥満は、まったく関係がないと思います。








  食べることに専念して、日常を過ごすことができるか。

  長時間、食べることに費やすることができますか。

  経済的に、時間的に。







  医療スタッフからメタボリックシンドロームと、注意を受ける状態は、

  どちらかといえば、注意をする家族が傍にいないからです。

  自分で判断できないから、周りにいる家族が声をだし、指摘すべきです。

  肥えている体格を、経済的に富んでいる現れとしてみる。

  もうとっくに時代遅れになってしまいました。

  子どもが肥満児であるのは、賢い母親として認められるものではありません。

  教育に従事している人から見ても、健康優良児とは映らないでしょう。





 


たばこを吸っている、肥満な医者を見つけ健康か、

  不健康かを取沙汰してみると、誰が考えても不味い状況でしょう。

  それを見て誰も医者とは、思わなくなります。

  健康にはからだと心のふたつがあり、ストレスが身体をむしばんでいくことが

  あると思います。

  健康になるには、それなりの知恵が必要であり、自分の力だけでなく

  周りの人たちの援助によって、健康に導かれるものだと信じます。

  お金そのものがもたらすのでなく、お金を持っていることでひとから

  分け与えられるものだと感じています。








  ひとりだけで得られる勲章のようなものではないと思います。
  
  血圧や血糖が高くなく、年相応に熟睡ができれば、健康につながる。

  健康とは、多くの幸せが重なってできる、身体のことです。

  たくさん食事ができるということは、その時だけでは困ります。

  食べた後も、悩みが出てこないよう健康でありたい。








  「飽食日本」は過去の話


  エネルギー、タンパク質の摂取量は低下し続けている。

  現在のエネルギー摂取量は敗戦後すぐの値以下。

  タンパク質は1950年代初頭のレベル。、








エコノミストからエネルギー摂取量に関して、

  統計資料を教えていただきました。

  健康であろうと庶民は精力を傾けているはずなのに、

  蛋白量の摂取量は敗戦後と変わらない。

  経済がどん底にいることの証明でもあります、さらに

  国自治体がおこなっている教育面に偏りがあるのを、

  裏付けています。

  国や自治体は、庶民の側におらず、疲弊される経済に何もできない。

  落ち込まざるを得ない、精神的にまずしい日本なのです。









  http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10904750-Kenkoukyoku-Gantaisakukenkouzoushinka/0000068070.pdf