先代から、命を粗末にする日本人(気質)

先代から、命を粗末にする日本人(気質)





  どうせお天道様からもらった命、なかったと思えば。

  生きているにしろ、死ぬにしても自分が納得しておればそれでよい。

  そう考える人がほとんど、だから「自殺に」肯定的な人が多い。

  自分の人生だもの、それでいいのじゃない。






  その人生を大きく分けてしまうのが、現金(ゲンナマ)のあるなし。

  暮らしの向きを変え、生と死を左右する世間の風。

  2015年日本社会を覆っているのは、現金の嵐。

  東日本原発の波は、被災後もそのまま野ざらしにされたまま。

  現金は手つかずのまま宙に浮いている、カネは日本国そのものを表している。






  では、日本と言う国、今まで暮らしやすい経済を保つことができたか。

  20年以上もたっても成長できない経済にな、国民を安穏にさせる

  こともままならなかった。

  国際経済と年金に明け暮れた、薄汚れた国政であった。

  それで結論は、どうなったか、これもまた未知数であり、

  結果はわかりきったこと、国と自治体の崩壊である。

  なぜか、すでに勝負は終わっている。







  時の主張は、戦争をしたがっているとのこと。戦争法案。

  戦争をしたがっているのなら、誰が実際に戦うのか。

  国民でしかやれない、それなのに国民が少子化

  国の長が、子どもがいない有様、誰に申し開きできるのだ。

  戦争もそうだが、国の経済も同じ。

  国民の総意、国民の数がすべてを証する。

  食べるための食糧調達でなければ、経済は潤えない。

  国民が、民を増やそうと結婚をしないのだから、

  子どもを産めないのだから、戦争ができるわけがない。







  そもそも未来を想像でき、新しい未来を作れることが、

  すべて希望のもと。

  それが結婚であり、出産であった。

  それが消えてなくなった、誰のせいでもない。

  国や自治体がなくなったとしか言えない。

  







  現金が大事、お金が大事なのはわかっているが、

  国が健全な働きをしないのだから、数年経てば潰れる国でしかない。

  日本の国や自治体が、経済を運営する能力を育てることができない。

  なぜなら、今まで金を大事にして、やり遂げた仕事がない。

  経済に対して、実績をつくってやってきたことはなかった。

  東日本原発災害、東京オリンピックをみても、同じ結論を見出すだろう。

  金を使う、消費をすることに専念するだけで、金を生かすことに尽力する人は出てこない。

  この言うところの「金」と、「人」とは、まったく同じだと思う。

  総意がなければいけないが、公なるもの「総意」が欠如している。








  国の経済、世界の国のなかでどのような位置を占めるモノか。

  いくらお金を持っていても、それを使うのは人である。

  その人の数によって支配されているのも、国であり官僚でしかない。

  経済を生かせる能力を持ち合わせなくても、我々は官僚を手放すわけにはいかない。








  被災後の結果を見てください、公害の結末と同じです。

  保障は削られ、最終は却下されます。

  人間としての保障は、なくなる。

  昔の話でしょうか、そうではなく現代のことです。

  福島第一原発の被災後、何もなかったように扱われます。

  経済の保障は、なくなるのです、開発国の話ではありません。

  いつでも首がくくれるように、国や自治体が縄を差し出しているのです。

  彼らは、金の算段をするでもなし将来を見通せる力もない。

  経済を成長させる力も、持ち合わせていない、そろばん弾きです。






  

  戦争をしたがっていても、やれない成れの果て。

  個人番号。

  これも全く同じです。

  秘密を守りますと言いながら、かつての年金と同じく、

  情報を流してしまいました。

  そのあと、秘密保護法を作って法律で国民を縛ってみても、

  年金を仕事にしている者を働かせることができませんでした。

  その情報が漏れたまま、経済的に保障するとは言いません。

  要するに彼らは、責任を持って仕事をしたくないのです。

  秘密にすると言いながら、情報は駄々漏れているのです。

  法律で縛りながら。








  彼らは、現金の話ができないのでしょう。