病気がはじまった?

病気がはじまった?





  ボランティアという言葉に浮かされたわけでもなく、

  友達に誘われてもいない。

  知らない所を訪ねてみたかったのか、探索してみたかったのか。




  介護施設という中身を知らない。

  いつものディサービスを訪ね、まだ時間があるので

  別の介護施設を訪問してみる。

  黙って入館して、玄関わきの並べられた椅子に、

  ちょこんと座ってみる。

  目を合わせば、軽く会釈は忘れることはできない。






  

  ポールふたつの間を手をついて歩いてみる、リハビリ。

  介護士が声をかけ、利用者が車いすから立ち上がるのを励ます。

  嫌そうな顔を、周囲にまき散らす。

  その光景を、全く無関係な私が、傍にいて感心する。

  二人の顔の表情を見たくもあり、見たくもなし。







  興味があったのは、その介護施設ダンベルなど筋力増強の

  機械設備が配置されていたこと。

  その機械の説明をしてもらいたかったが、赤の他人では

  訊きようがなかった。








  予定より1時間ほど早く、ディサービスの施設についた。

  ここでも施設のやっていることを見学する。

  介護施設の仕事役割というものが、しっかりわかっていない。

  まず介護されている人の、顔の表情を眺めてみる。

  その次は、介護している人の「顔のまじめさ」、

  まだ私は、なじめていない方の部類にいる。








  4、5回目になるだろうか、「紙芝居」をやり始めている。

  演技や顔を見せるなんてことは、何も考えない。

  紙芝居の「紙」に隠れて、声を出し切る。

  今日は、たいへんうれしいことがあった。

  杖をついて、私たちに声をかけてくれた「男性」。

 「一生懸命、やってくれているのはわかるのだが、声がきこえない」

 「聞いている者のほとんどが、声がきこえない」と言われてしまった。







  

  ほとんどがきこえない、というおはなし、当たり前であり伝えられていないこと。

  私にとっても、あと数年たてば起こってくること。

  モノが聞こえなくなり、物が見えなくなるという老い。

  それがたった数年のことであり、私の知識として頭に入っていないこと。

  それをメガネや補聴器でカバーしようとは、考えない者です。

  そういうことをいろいろ考えさせ、教えてくれる介護施設です。








  また新しい「紙芝居」を読みたいです。

  子どもが小さかったころ、絵本を読んだように。