二度生き

  二度生き



 
  二枚の写真を見ていただきたい。

  小さな公園と寄合所を備えたところ。

  そのなりを観たとき、こんなものが未だ〜

  という感じがした。






  私が住んでいる場所では、ゴミだらけのありさま。

  掃除をするとか、きれいにするとかという次元ではない。

  汚さない、ゴミは持ち帰る。

  それだけで、今のような状況にはならない。






  国民健康保険医療費のお知らせ

  7、8月の明細が流れてきた、7件。

  総額 949,470円

  入院に関するものが、11日 845、560円。







  それ以後、薬を飲まず、医者にも通っていない。

  この金額を提示されて、手術を望んだであろうか。

  これまで、これからも、この金額に合うような、

  ふさわしい人生を歩む・・・・・

  そういう人は、登場しないだろう。







  主治医に手術をしていただき、篤くお礼を申し上げますが、

  手術を受ける側にとって、長か半どっちに転ぶかわからない。

  その結果は、最終の死の時でしかわからないと考えています。

  ぬか喜びするタイプの人間ではありません。






  たとえお金をたくさん持っている人であろうと、この手術を

  望んだかと思えば、一概に言えません。

  私が受けたのが、整形外科だというのがひとつです。

  ちょうど行政の方で動きかけているのが、TPPです。






  医療従事者、保険業界、地域医療体制など。

  TPPによって様変わりし、このような治療を望む人が、

  現れるとは限りません。治療を受けた患者である私でさえ、

  この金額を提示されて、手術を望めるかと問われると、

  NOというしかないです。







  ちょうど私は、日本における歴史のなかで、今までもと同時に、

  これからの医療領域で存在しえない、治療を受けたのではないでしょうか。

  国民皆保険でなくては、うけられない治療です。

  いまたまたま、こういった高額治療を受ける環境にいたということです。

  これが数年たつと、受ける患者が裕福であったり、外国人であったりします。







  
  写真のように、人の眼に訴えるような公園を整備している。

  そのような気概を持っている人が、生きている時代。

  ゴミためのような、公園で暮らしていても、何にも感じない。

  ひと世代ではなく、二回目の人生を味わせていただいているのが、

  私たちだという気がします。







  保険料なんて言葉は、死語。

  保険なんて、反故にするための言い訳。

  つけを全部、消費者に回せば事が済むとさ。







  更地。

  この更地が、自分の生きている時代を考えさせる。

  さっき作られたばかりのマンションに、すぐ住み替えるいそがしさ。

  人生は、めまぐるしく動き回る。

  じっとしている間などないはずなのに、街のなかに更地がふえてくる。

  経済が動いていない、しるしだと感じる。