コミュニケーションをとるのが苦手

コミュニケーションをとるのが苦手






  その苦手なモノを逆手にとって、何をする?

  時代は何もかもいそがしい、じっと待って居るには苦痛。

  答えを求める人たちが、どっとあふれてきたか。





  
  よく知らない人と言葉を交わす。

  何を知ってもらおうとするのか、何を感じてほしいのか。

  長い人生のなかで、この一瞬訴えたいことはなんだろう。







  一面識しかないひとに、インタビューをしに出かける。

  何も堅い話をしようというわけではない、ただ駄弁る。

  長いようで短いこの人生、子どもの頃や、両親が健在の時。

  その時々のことを振り返ったことがあったろうか。






  親と子、妻と夫という関係を外れて、

  会話をしたことがあっただろうか。

  子ども世代や、親世代の責務から離れるとき、

  肩肘つかずに語れるという〜。

  落ち着くことができる、なんて。






  歩きながらケイタイを握る、急かされて生きる時代。

  じっくり本を読んだ時なんて、あったんでしょうか。






  駄弁るというと、男と男の間柄で皆無でした。

  議論を闘わせたことはあるかもしれません、しかし

  思い出を語らせる機会は巡ってきませんでした。

  年老いて認知症などで記憶が消え去ろうとするとき、

  再び思い起こすきっかけとは、なんでしょうか。

  人にやさしく寄り添うことができるとき。








  ひととき、楽しい話ができました。

  ご迷惑をおかけしました、もしよろしければ

  二回目のインタビューに応じていただけないでしょうか。

  立ちながらでも、お話を〜。