日本語をレスペクトする

 日本語をレスペクトする




 日本人、それも公の日本人が日本語をレスペクトしない。

 日本語を操る人が、日本語を大事にしない。

 そこから本を読むのが苦手、読書嫌いを定着させた。







 日本 語を操る人が、日本語そのものをあいまい使う。

 その極みが政治であり、法曹界ではないか。

 日本語を放棄して、英語の支配下になればもっとすっきりする。







 川島雄三監督、辰巳柳太郎主演の『わが町』1956年を観た。

 『夫婦善哉』と共に原作者である、織田作之助の作品。

 描かれる内容が、むつかしい。

 もっと練られて、感情を訴える表現があってもいいのではないか。







 Jポップを聞いても、歌詞がわからない。

 メロディーは、充分ついていける、いっそ英語にしてしまえば。

 日本語の歌詞にするから、ぎこちなくなる。







 地域史を考える、 聞き書きを学ぶワークに参加した。

 最近作ったのが、肩書のない名刺。

 住所とメールアドレス、電話番号。

 その名刺を差し出し、聞き書きをやり始めた。








 自分の住んでいる場所と、働くところが決まった〜きっかけ。

 小さい時の家族の仕事は、どんなものだったの。

 兄妹のなかで、どんな性格に落ち着いたでしょう。

 ざっくりとしたお話、が聞ければいいと考えました。








 しかし世の中は、何をするにもいそがしい。

 エスカレーターの上で、危険を冒し・・・

 他人をとびこえて、歩く輩がいる。

 「他人と関係がない」と言いながら、他人を傷つけることに< /div>
 呵責をもたない人たち。

 そういう人たちに、溢れている社会だと思います。










 今まで知らなかった他人の人生、その一部分を教えてもらう。

 プライバシーとして、話すことに抵抗を感じる、それも自然。

 公表するのを前提にしません、ただあなたのお話を聞きたいのです。

 話すだけではありません、経験してきたことの整理や、

 まとめの一作業ととらえてもらえませんか。








 日本語の文章や、芸術という分野で表現するに終わらない〜

 口で放つ自分の人生。

 今までの人生で、こういう時間を過ごしたことがあるでしょうか。

 夫として妻として、親・子 ・孫として。

 過去の経験を親族に伝えるひととき、時間を共有したことがありますか。


 




 残念ながら、私はそういう経験がありませんでした。

 認知症など介護を受ける立場になった時、過去を回想すること。

 当事者になって考えるのでなく、ものごとを俯瞰して眺める。

 他人と視線を交わし、心をかたむけることではないでしょうか。








 独り暮らしの日々に、肩書のない名刺を持つことで、

 今までと違ったコミュニケーションのやり方を探しています。

 発信と受信、両方が行われてこそ、磨かれていくと信じます。