日本語をレスペクトする
日本語をレスペクトする
日本人、それも公の日本人が日本語をレスペクトしない。
日本語を操る人が、日本語を大事にしない。
そこから本を読むのが苦手、読書嫌いを定着させた。
日本 語を操る人が、日本語そのものをあいまい使う。
その極みが政治であり、法曹界ではないか。
日本語を放棄して、英語の支配下になればもっとすっきりする。
描かれる内容が、むつかしい。
もっと練られて、感情を訴える表現があってもいいのではないか。
Jポップを聞いても、歌詞がわからない。
メロディーは、充分ついていける、いっそ英語にしてしまえば。
日本語の歌詞にするから、ぎこちなくなる。
地域史を考える、 聞き書きを学ぶワークに参加した。
最近作ったのが、肩書のない名刺。
住所とメールアドレス、電話番号。
その名刺を差し出し、聞き書きをやり始めた。
自分の住んでいる場所と、働くところが決まった〜きっかけ。
小さい時の家族の仕事は、どんなものだったの。
兄妹のなかで、どんな性格に落ち着いたでしょう。
ざっくりとしたお話、が聞ければいいと考えました。
しかし世の中は、何をするにもいそがしい。
エスカレーターの上で、危険を冒し・・・
他人をとびこえて、歩く輩がいる。
「他人と関係がない」と言いながら、他人を傷つけることに< /div>
呵責をもたない人たち。
そういう人たちに、溢れている社会だと思います。
今まで知らなかった他人の人生、その一部分を教えてもらう。
プライバシーとして、話すことに抵抗を感じる、それも自然。
公表するのを前提にしません、ただあなたのお話を聞きたいのです。
話すだけではありません、経験してきたことの整理や、
まとめの一作業ととらえてもらえませんか。
日本語の文章や、芸術という分野で表現するに終わらない〜
口で放つ自分の人生。
今までの人生で、こういう時間を過ごしたことがあるでしょうか。
夫として妻として、親・子 ・孫として。
過去の経験を親族に伝えるひととき、時間を共有したことがありますか。
残念ながら、私はそういう経験がありませんでした。
認知症など介護を受ける立場になった時、過去を回想すること。
当事者になって考えるのでなく、ものごとを俯瞰して眺める。
他人と視線を交わし、心をかたむけることではないでしょうか。
独り暮らしの日々に、肩書のない名刺を持つことで、
今までと違ったコミュニケーションのやり方を探しています。
発信と受信、両方が行われてこそ、磨かれていくと信じます。