かねがすべて

おかねがすべて




   お金の価値が、絶対であって、

   そのお金の多寡によって、仕事や人が判断される。

   そういう社会的な暗黙のルールがあるのならいい、

   実際は、なにもない。

   懲罰がないに等しい。




   経済の論理が働いて、合理的・効率的な事業と評価されたとき、

   その力が奨励へ動き始める。

   他の企業よりも勝ったと言われ、競争に打ち勝つ。




   企業がマンネリ化し、惰性で経済が動いていくと、民間が

   まるで官業のようなやり方をし始めた。

   民間と官業のなかをあいまいにやり過ごすと、働く者からの

   反発が生まれてくる。

   経済の価値観、合理性を追求しない企業が、

   見違えるように増えてきた。





   貧困のスパイラル、労働の貧困。

   労働におけるスキルの低下、貧困へ。

   日本の労働者の歴史が、飛散する。

   労働技術のスパイラル、貧困化。

   「教育」というものが、存在しなくなる社会。






   傍に寄ってきて、日本語を操る労働者は、まるで異国人。

   販促のペーパーは、何枚も作るのだが、中身のない日本語。

   日本人に伝えるべき、はかりごとをプランにできない。

   日本人に対してこうなのだから、外人からみれば最悪だろう。





   これが許される、経済社会なのだから、将来になればとても

   やっていけなくなるだろう。

   この企業にして、年長者である我々が被っているわけだが

   最終的に、倒産ということもあり得る。

   国民の教育が向上していると、その恩恵を享受するが、

   その逆で「教育されていない労働者や国民」が、

   わっと社会に出てくると、何もかも機能しなくなる。





   まるでテロが起こった時のように、パニックになり元に戻らなくなる。

   この教育が、日本の将来を危うくすると予想します。

   引きこもりのように、ひとり一人が閉じこもってしまう。

   学習能力を閉ざしてしまい、広がろうとする経済が、

   逆方向へスパイラルに向かって、移行していくのです。





   企業と企業が提携して事業を展開している、そのプランを

   まじかに見ている客は、心細くなります。

   日本語が通じていない、セールスの世界。

   世界のなかで、真っ逆さまに転がっているさまが見えます。




   
   こういう働き方しかできない、国になってしまった。