おもわく

おもわく



   人が何かをするに、それなりの意図がある。

   集団や組織で、同じようにそれなりの思惑があろう。

   その思惑が、集団・組織内で共有やコンセンサスを求められているか。




   組織として、充分討議されているかどうか、確認されないまま、

   独断で物事が先行している、そういう風景をよくみる。

   声の大きいそして発言力のある人物が、矢面に登場する。

   


   議員の仕事である国会でさえ、論議を省いてしまうこのご時世。

   自主的なサークルでは、同じ様に前へ出てくる人と後ろへ下がる人が

   しぜんと別れてくる。




   なにかの催しに参加してみると、その集会の意図が何で、これから何をしようとしているのか。

   それがすぐに判断つかないと、その催行がタイミングいいものか算段がつかない。

   集会の目的が明らかでないと、予算が取れない。

   合理的にいえば、社会に何を訴えたいのか、何を証言したいのかまとめる必要がある。




   感情表現だけで催しを展開されても、大衆はなかなかついていきにくい。

   それが普通だと思うのだが、組織の中の突出した人が、先行して会の運営に走る。

   本当に会員が、社会に出て訴えたいと考えているか、そのことにを疑ってしまう。





   何をするにしても、根回しをするなど、会員同士で時間をかけて、

   話し合うという、地盤が欠けている。

   短気になっている。

   何でもかんでも、MLで流せば通じるものと解釈してしまう。

   言葉を介せば、納得してもらえると信じている。






   コミュニケーション。

   決してケイタイは、万能ではない。

   参加する人が、多ければ多いほど時間をかけて、対話を重ねる必要がある。

   あなたのML、壁にぶち当たっていませんか。




   
   誤った使い方を、ケイタイで利用していませんか。

   自分が働いている職場で、日頃対話を重ねていますか。

   まともに会話しなくて、指図されていませんか。

   人のロボット化、それで働いていませんか。