ひめゆりの塔
ひめゆりの塔 1953年 日本
監督 今井正
脚本 水木洋子
1945年3月、米軍が沖縄上陸作戦に着手する。
https://www.youtube.com/watch?v=I3s3jY91tbM
見たい映画ではない、悲しいモノ。
戦争における、個々の役割や行動について。
何も知らないわりに、冷静に良し悪しを判断している、
自分をみる。
もうこの歳までになると、戦争の真っただ中「頭だけでも」
入り込めるようになった。
戦争そのものが、娯楽映画としてジャンルを広げる時代になった。
1、2時間の娯楽として、楽しめる世代です。
実際の当事者であれば、とても正視できない映像に違いない。
頭の中と、体験を分離することが出来たり、映像を読み物のように
素通りすることができる、現代人が現れたかもしれない。
自分のなかで表れた発見は、映像にみえる時間の経過が、
ゆるやかに流れていると自覚したこと。
死への恐怖、家族に対する愛、友に対する思い。
それらの複雑な思いからすれば、艦砲射撃と機銃掃射の続く、
沖縄から逃れたいと考える・・・。
頭だけでも、逃れたいと思うのが、ふつう。
戦争と言いながら、敵の軍人と闘うという、相手国が登場しない。
精神的な支柱を失い、混乱した感情を発露する人がいない。
軍人が闘っている場面のない、戦争映画。
なぜこのような映画を、延々と見なければならないのだろう。
機銃掃射が、長々と続くのをいらいらとして観た。
こんな映画をつくる日本人。
こんな映画を一生を通して、見続ける日本人。
こんな機銃掃射をした敵国に、何の感情も持たない。
広島原爆、長崎原爆、いつでも頭から取り除くことができる。
単に、忘れっぽいだけではない。