くすり

くすり




  異次元の世界をさまよってきたような、感覚を持っている。

  病院での数日は、まさに旅そのもの。

  受け入れるか、それとも自分の意思をどこまで通すか。





  患者と医療と結びつけるのは、究極的に ”お金そのもの”。

  お金を支払える能力があるか、その一点に尽きる。

  行き倒れを助けるとしても、誰であるかというのが必要条件。

  


  保証人の記名捺印があって、初めて入院が許される。

  言うなら、ひとり暮らしをしている者にとって、

  病院に入ることは、たいそう難儀なもの。




  治療をしながら、養生の説明を受け、金銭の支払いを考える。

  周りに患者の助ける人がいなくては、ベッドで寝ることさえできない。

  つまり家族に支えられ、療養せざるを得ない社会で暮らしている。

  医療する病院側も、家族の対応に苦労させられると同時に、

  その家族の力を求めていることがわかる。





  病院側と、家族間は、あうんの関係にあることがわかった。

  患者側にとっては、委ねて感謝する対象者。

  病院側は、家族の役割として何を求めているのか。





  手術日より3日、病室で睡眠がとれなかった。

  手術より7日、便が出ない、手術より8日以上、血圧が異常に上下する。

  この病院では、療養できないと悟った。




  くすり依存症と人は言う、患者だけの事だろうか。

  病気になっても、くすりから解放されることはないらしい。

  降下剤の飲む量を、病院側と相談している患者がいる。

  くすりとくすりとの、新たな調整が始まる。

  



  本当の自分の体調を、知るための「きざし」がわからなくなる。

  くすりで変わる、じぶんのうその、「血圧」。

  その嘘の体調で、明日の自分の在りかたを探る。

  それで、自分の身体を知っていると言えますか。





  患者がくすりに入りびたりになるように、

  病院側、医療側も、くすりがなければ運営ができないよう、

  なり始めているのではないか。

  患者が、おとなしくなるように、

  胃の消化剤と一緒に、眠り薬を強要していく。

   




  医師は、神様そのものです。