ニックネーム日記・匿名日記

ニックネーム日記・匿名日記





 日記風のブログを見慣れているせいか、

 ニックネーム日記・匿名日記というものがどういうものか。

 わからなかったが、考えてみると、要は誰が書いたのか

 わからないような日記の事か。

 


 記事を書いた記者のわからない、新聞記事。

 差出人のわからない、会社など組織団体のメール。

 議事録のない、公的な会議。

 出席者が誰か、なにを発言したか、記録のない会議。

 


 世間によくある、今まで存在しなかった不思議な領域。

 その空間を想像すれば、誰しも浮かび上がるもの。

 会議に出席しなければならないが、なにを発言したか何を賛否したか

 その責任の問われない、公的な仕事。

 その記録が保存されると約束されない、会議。




 誰が何を発言し、何を行ったか、それが追求されない社会。

 黙って何もしないことが、その人の役割だと許される社会。

 論じることを自主規制する、閉鎖された社会。




 そこから逃げるため、責任のない・批判を受けない場所に

 隠れて発言をしようとする。

 公開の場で明らかに、非難される論壇上の事。

 弁論さえできず、反論の起こらない空間。





 言葉で表現する空間で、発信と受け手が明らかでない。

 昨日今日明日と連続で、連絡することのできない関係。

 お互い不特定多数で、名前など特定できない人の発言など。

 いま盛んに行われている花火、遠方から眺めているだけ。

 


 
 日記、本来の趣旨からいえば公開されるものではない。

 たった一日の日記を手渡した。

 一日の日記を公開することに、何の意味があるのか。

 切ない、刹那的。

 



 書く方も読む方も、考え方がどんなに変わってもいいんです。

 一貫性を持たず、感情的に書きなぐってもいい。

 変化を感じ取れれば、それでいい。

 自分が変わった、あるいは、読んでいる日記が変わった、それがわかればいい。





 自分の考えが変わる、人の考えが変わる。

 変わることに意味があり、それが人生そのもの。

 変わったことを感じなければ、書く意味もないし、

 日記を読む意味がない。





 前に読んだ同じ人間が、別のことをまた書いていると、

 わかってくれればそれでいい。

 同じ人間が書いているということが、最も大事なことだと思う。

 読んでおられる方に、それを理解されないと表現の意味がない。






 受信があって、発信がある。