整形外科寸描



 生まれて初めて、上のクラスの病院で診察を受ける。

 夏休み入っての、金曜日。

 私にとって、まさに盛況というにぎわい。



 早い時間は、同年代あるいは高齢者が中心だった。

 それが、少しずつ幅が広くなる、小中生が登場する。

 車いすに乗っての、外来診察。

 極めつけは、現役の勤めの若い人、

 ひょっとすると同病院で、働いている人のようだった。




 それを見て、何かしらおかしくない、わが身に照らして

 考え直してみる。

 コルセットはしない、薬は飲まない、何もしなかった。

 20年余り、何もしなかったのが、悪いのか。

 7診、設けられていた、どこかおかしくない?

 車いすに、ハイヒール、体重増加に、太めのおなか。

 背骨に、足の骨、若い時から鍛えられたことがあるでしょうか。




 薬に医療、手術などに過大な期待をかけすぎていないのか。

 待合で殺到する、患者の母親・患者の娘息子、子供を連れてやってきた家族。

 待合の椅子が、ほとんど埋められてしまい、新しく来た患者の座るところがない。

 足の悪い患者が、立ったままで待ち続けるのです。




 子どもの足元を見ませんでしたが、診察を受ける子供2人と、

 男性(夫)でしょう、4人が待合に座りました。

 その4人が、4人ともスマートフォンを手に、ネットでつながっています。

 その4人が黙ったままで、椅子に座っているのです。

 そこに誰もいないかのように、静かでした。

 何なんでしょう、このシチュエーションは、苦行なんでしょうか。





 待ち時間と診察、あわせて4時間以上。

 途中逃げ出したくなりました、あと何人目か、何も示してくれないのです。

 順番通り診察がなされているのか、信頼できませんでした。

 そこで出てきたのが、また紹介でした。

 あす、新たな病院へ診察を受けに行きます。






 待合で、立たされる心境は、

 どんなに年老いても、動いていた過去の時代を忘れることができない。

 いまできない、やれないことを素直に、受け入れられない。

 できないことを、自分が受け入れるのは並大抵ではない。

 果てしない、人から見れば強欲とも見える、人のさがです。

 このさがを持っていることで、今日一日楽しめます。





 どこで納得し、どこで諦めて、そのままの自分を受け入れるか。

 人のふりを見、自分の身体と心を鏡に照らして、考えなければなりません。

 いま、諦めなければならない、時ではないですか。