税は、誰のためか

税は、誰のためか



 考え思っている、そのことを誰かに発信しなければ、とい
 ういらだちはありません。しかし、私が思うような意見を
 誰も言わなかった、としたら、黙っていてはいられない。

 
 そこで新聞を読んでいない、負のリスクがあります。メデ
 ィアが何を言っているのか、確かめようがないのです。
 彼らの言っているのを、信用していないからこそ、耳を
 貸さないのです。どっちにしても理がないのです。


 昨日は、視覚障がい者からみた、公共を考えました。公共
 の立場が、どうあるべきか、という視点です。新聞・テレ
 ビを媒体としない人たちに、国や自治体はどう説明をすべ
 きか、どういう方法がありうるだろうか。


 この視点から考えた場合、いまの時代がいかに姑息な人間
 関係でもってつながっているかと驚かされます。人の後ろ
 に力関係が、覆い隠されているのです。国民や市民に、徹
 底して情報を伝えなければならないという、責任感を負わ
 されていないことです。



 あいまいな日本語のことば、「秘密保護法」。説明に用い
 られる、この象徴的な日本語は、永遠に語り継がれるに違
 いない。いまの日本人が、軽薄な人々に満ちているという、
 歴史的な証明になる。



 時同じくして、美味しんぼの話が世間を騒がせています。
 たかが漫画のこと、厚生省や自治体、大学人を右往左往さ
 せることになりました。前代未聞でしょう、テレビ・マス
 コミのニュースになるなんて。


 事の起こりは、公共の在り方に問題があるのです。眼にす
 るメディアに、立ち会うことのない国民に、どう説明して
 いるのでしょうか。たとえば、外国人やテレビを見ない人
 たちになんと話しているのでしょうか。


 被災者に向かって。
 国民に向かって、説明をすることだけでなく。
 医療行為を行っている病院が、持ち寄った情報を公開して
 いないのではないか。
 厚生省が、情報を公開しているかという、微かな疑いを抱
 いているからこそ、不信感が募っているのです。



 知的な人たちを、国が求めていない。



 医療を従事する財政がないのなら、それも仕方がないでし
 ょう。しかし、そうではない、福島県の在住者を検診医療
 する費用なら、誰しも喜んで支持するだろう。だが、国は
 医療行為をしない。



 この医療行為は、診察をする、検査をするというだけにと
 どまらない。どこかいちばん危険な地域であるのか、避け
 なければいけない地域はどこなのかという、ポジティブな
 研究に向かっているかにある。社会は、真逆な方向に進ん
 でいる、誰しも認めることではないか。



 学問の領域とは、かけ離れた歩み方を国全体が歩んでいる。
 このような進み方は、未来のない明日でしかない、そのこ
 とを誰しも発言しない。それを「美味しんぼ」は、私たち
 に示してくれたと思う。



 漫画が言っていることは、未来に生まれる子供たちの、
 「発言」だとして、聞くことができないだろうか。
 論理や科学など、そんなことの証明は誰も求めていない。
 今やるべきことは、現実にある医学情報の収集でしかない。


 
 言いたいのに声がふさがれてしまう、情報を集めないよう
 にさせる。未来の子どもへ役に立つ情報を渡さない、その
 ように抑える空気が満ちている。
 暗黒の社会が、この空を覆っているとしかみえない。