街で学ぼう

街で学ぼう

  大坂の街を、一緒に歩いてみませんか?


 << 大正区 >>

時代をさかのぼり、その土地の持つ歩みを学びます。

・大正 街あるき
 〜街を巡りながら、
案内人のお話を聞きます。

 大正橋〜尻無川防波堤
 昔の家屋〜勘助碑
 大阪紡績跡〜おおさかの自販機〜

大正区ならではの、大正区食べつくし!

おきナニワん  KING  ラリー

 2013・9・1〜2014・2・11



うるま御殿で、ランチをいただきました。

おなかいっぱいの後は、
おきナニワんフードの、食べ歩き、

 沖縄や地元の味を、案内人と試食しながら
 平尾商店街を歩きます。

 お店の人に話しを聞いたり、めずらしい食材を見たり。
 沖縄エイサー踊りもあるかも!
 おみやげ付の格安ツァーです。


 主催:NPO法人 AMネット


 協力:大正区歴史を語る会

    アソシエイツサロン こにふぁ〜
       http://www.conifer28.com/index.html

    (一財)大阪市コミュニティ協会 大正区支部協議会
       http://www.osakacommunity.jp/taisho/


 案内人から頂いた、キーワードは主に二つ。

☆新田開発 ( 堤防 + 新田 )

 大正区は、淀川水系大和川水系により運ばれた土砂により出来た三角州。
 江戸時代には、埋め立てによる新田開発が盛んに行われた。新田の開発は、
 高潮との戦いで、堤防+新田のセットで開発が行われた。
 特色は「町人請負新田(町人が幕府の許可を得て開発事業を請け負う)」で
 村請新田や藩営新田などは、まったく見られなかった。

☆木津勘助(中村勘助

 木津勘助、北村六右衛門、岡島嘉平次などが新田開発を行い、今でも地名に
 その名が残っている。勘助は、1610年に豊臣秀吉の家臣(土木技師)として、
 後に勘助島と呼ばれる姫島(現大正区の北部)に堤防と船着き場を築き、市
 中川浚い御用係に任命されるなど、大阪の水利の発展に貢献しました。

 また、1641年頃大飢饉が起こると大阪城の備蓄米の放出を願いでますが聞き
 入れられず、福岡黒田藩の米蔵を破り5000俵(300トン)のコメを町人に無償
 で配ります。

 庶民を救済した勘助は浪速のヒーローとして、現代まで落語、講談、浪曲
 などで語り継がれています。

 町人請負新田
 
 町人が幕府の許可を得て開発事業を請け負い、独力で開いた新田です。工事費
 はすべて請負人の自費ですが、開拓された新田は請負人のものとなること、最
 初の3年は年貢が免除されること、などの特典がありました。また、小作人
 ら小作料を取る権利も持っていました。


配布された資料から

 
 地元の人が、伝えたいこと。
 ここに住んでいる、そのことを自慢したいことって
 何があるだろうか。本当の地元を知っているのだろうか。

 大阪市内には渡船場が8ヵ所あり、大正区には7ヵ所
 あります。
 周囲を水に囲まれた大正区は、陸路の交通機関の発達は
 遅く、江戸時代より水路を行き来する小船と、木津川や
 尻無川の渡しが重要な交通機関でした。


 地元の味を、案内人と試食しながらの食べ歩き。
 商店街の店前に群がる、恥ずかしい限りです。

 
 スーパー買いに慣れてしまった現在の、顔の見える商売。
 高級ホテルの偽装事件が多発しているいま、面と向かって
 商いをすることの大切さを知りました。



 歴史を振り返る、貴重な探索をさせていただきました。
 紹介してもらった歴史は、ある一部分でしかないと思います。


 その地域しか持っていないもの、そこがベースなのでしょう。
 別の顔を持った土地の過去を、ひとりで考えながら歩きたいです。