大学の大学によるお話

大学の大学によるお話



画像資料による

日本人移民への新視点

満州・ブラジル・南洋


主催:人間文化研究機構

後援:文部科学省

担当機関:国際日本文化研究センター


講演1

劉 建輝  
「地図と写真から見る満州移民と現地社会」

講演2

細川 周平 ・ 根川 幸男
「両角貫一コレクションが捉えた日系ブラジル移民の暮らしぶり」

講演3

津田 睦美
強制収容所に届いた妻の手紙
 −仏領ニューカレドニアの沖縄移民」


あいさつ含めて、2時間30分を使って講演は終わる。
場所は京都。私が交通に要する時間、往復4時間あまり。


いくら考えても三つの講演は、この時間では足らないはず。
どんな講演なのか、場所を知るためと良しとした。


事前にハガキ・FAX・E-mail で申し込み、
抽選の結果、本人に連絡が入ります。


駅と日文研の間、無料のバスサービス。
最初のバス出発時刻の前に、すでにバスの乗員は満杯。
その時刻、開演の予定1時間前。


定刻より早めの集合は、古き日本人のエチケット。
それが通用しているのは、ほとんど年配者の乗員であるしるし。


わたしもこれくらい老けているのだろうか、
10歳上の参加者が多いと思います。
海外の事に、関心を持っておられるのだろうか。


移民というより、私は移住という観点からこの講演に興味を持った。
福島県の現状を考えるための、材料探し。
それとブラジルという国の、ほんの紀行など聞けると考えた。


いま大学では、公開講座などを開いて市民に広く学術的な情報を
いち早く伝え、地域へ貢献しようと働きかけている。
この大学の大学に相当する、この機関で知識の宝庫を作りたいのだろうか。


館内は、写真や録音は禁止。秘密保全法の幕開けにして、しかたなしか。
学びの場にして、情報を伝える道具は、発展を阻害するか。
スマートホンのマナードへの切り替え、開演前の注意アナウンスはない。
ケイタイをほとんど使っていないと、参加者を見たか。



高齢の参加者が多く、あまりにも講演の時間が短かった。
深みのない、あっさりとした中身に驚かされた。
セミナーでは、必ず行われる最後の質問コーナー。
それが当然だと思っている私、意に反してなかった。



それにしてもシャトルバスを用いて足の確保をし、
道案内・誘導する人員に、バイトらしき働きをしている人はいない。
中年以上の現役の人、ほとんど正規労働者が活躍しているとみえました。


外国に移民した日本人に焦点を当てた、講演のようではありました。
歴史をひも解く、ある出来事を探る、そのワークを仮想体験できる。
そういう感覚を味わえるだろうと、ひそかな期待をしたのですが。


広島・長崎の原爆被害者に共通する試練、被災者の高齢化と死の現実。
過去を探る点では、外国へ移民した人たちの事ばかりではありません。
戦争の災害を被った人たちは、日本中のどこにでもおられるはずです。



この講演を聞こうとした参加者は、原爆被害者や移民の日本人と同じく
苦難の道を歩まれたに違いありません。
特別な経験、日本の土地以外で味わった苦労が貴重だと限りません。


誰しも生きてきた人生を、無駄だったと回想する人はいないでしょう。
講演を聞きに来た、当の高齢者の足跡をひも解いても、
日本人の資料として意味のある、功績の役割を果たすのではありませんか。


見も知らない日本人の先祖を探るのではなく、身内の先祖の事を調べるという
ワークにつなげてみても、学問的に評価が得られるのではないか。
市井の、それぞれの人生を客観的につかむ。
それができる世代は、この超高齢者になる我々しかない。


とすれば、今回参加した人が、そのワークができるのはあと数か月しかない。
お互いの歴史を受け継ぐことなく、家族の引継ぎを果たせず途絶えてしまう。
そういう日本人の不幸を連想する、学問の限界を感じました。