LGBTの被害者

日本において目の前にぶら下がっているものは、

いま目の前に立っている、中高年ならびに高齢者がいなくなるという事実。

拉致されるわけでなく、人の数に当てはめてはならない存在。

それが、世界の中で一番最初に起こる国〜日本である。


それに連なるテーマは、大多数の性が女性たちになること。

主導権は、女性にある。

知能は、女性という性にゆだねるしかない。

女性の園を連想するに、目の前に浮かぶのが、老人ホーム。

ホームの利用者のみを見るのでなく、介護する側、施設の管理者

すべてを俯瞰するのが女性たちだろうと。



運営を考えなければいけないのは、ほかでもない当事者。

大多数の利用者が、女性たちであることを前提としたい。

冷静であり、将来のことを考える能力を備えていること。



過労死した子を思いやって、発信している母親の声を聞く。

働いている子であるから大人であることは間違いがない。

その時点で親として大人になるまで、何を伝えてきたのか

その母親たちに問いかけたい。

車を運転すれば事故で死ぬこともあり、戦争に行けば戦死する

酒を飲みすぎて、死ぬ可能性だってある、つまり馬鹿な子を

育てたのは他ならない、母親の自分であることを認めるべきだ。



大人になった子供だけが働いているのではなく、大人である自分も

働いているはず。その先輩である自分が、働き方の術を教えているはずなのに

こどもが教わっていなかったということ。

愚かさは、当然ながら子に受け継がれただけのことではないのか。




それにもまして風体のことを言えば、

髪の毛の長さを、家族の中でだれが指図するかといえば、

母親でしかない。

長い髪は、働く者がするものでないことを強調したい。

戦闘に向かう兵士が、長髪のまま挑めると思うか、おのれの命を失うことを

考えない人間としか映らない。



大人として、子を持つ母親として、

対応できるかどうかが、この一生につながっている。

これを習得しているか、問われるのが、いまではないか。

女性であることを、社会的に安く受け取られていると

解釈されてもいいと思う、だからLGBTの流れを見るようになった。



子供などなくてもいい、結婚などしなくてもいい。

働かなくてもいい、親が生きている間は・・・。

今の日本で、女性の性は必要とされていないことを考えるべき。

人が人として大切にされるであろう時代は、何百年先だろう。

それまでの間、ほとんどの人が女性であることから、主導権が

女性に移り変わっていることを理解すべきである。

それでも、あなたは男性にすべてを託しますか。



最後の最後には、働いている男がどこにもいなくなる。

戦闘している軍人に、男がいなくなる。

結婚しないと誰からも人として、認めてもらえない

そんな時代を通り抜けているかもしれません。



いつまでも、死ぬまでも

女性性が保たれると思われますか。

何をもってしても、男が先端を走っていた時代を

すり抜けて、女性がすべてを采配しなくては

日本が成りたたない時が・・・・。