ドキュメンタリー映画
長く生きていると、不思議なものでおもてにある漢字・ことばだけで受け取れない。
その典型が書籍、題が日本語であっても発行日と出版の時期が気になる。
映画であれば、映画が完成された日と公開された日。
その時期が、現在に近ければ近いほど興味の対象になりうる。
そのドキュメンタリーの中身は古い事象のこと。
事実に興味はないが、ドキュメンタリーとはどういうものか、
考えさせてくれる材料になると思った。
古いことを、なぜ今、焦点を当てなければならないのか、
それを考える、格好のものだった。
時代物で、生存する発言者の、最後の最後の登場者といわれる人。
そのことは、それを題材にして関心を抱く層も、亡くなるときが目の前。
人が、どんどん減ってきて、読書などする人は生きていなくなる。
目の見える人しか、訴える対象として選ぶしかない時代が到来する。
その映画の視聴者を眺めてみた。
ほとんどがその当事者ではないかと、思えるような歳相応に思う。
なかでも女性が多いのが目についた、なぜなのだろうか。
こうなると空想の世界に、舞い戻っているとしか・・・。
取材源である、取材の対象である日本人の気性や性格から、生まれたことなのか。
100年たっても、明らかにされることのない、曖昧な事象。
この明らかにされなくても暮らしていける、人格の融通性。
映像を見ても、確信が持てない
本を読んで納得できない
疑い深いのだろうか、私たちは。
人の言うことに・・・・。