デンデラ

デンデラ




   2011年映画。

   あっさり時代を経ると、見過ごされる作品。

   こういった作品は、やはり二度と生まれないと思う。

   考えさせられた、2011年でなく2017年だからこそ、頭に残った。




   ほとんど女優陣で、俳優の名前は覚えているが、名前とつながらない。

   化粧をしなくてよい演技、化粧した顔しか見ない女優の違い。

   活発的な演技を求められ、従来と異なる高齢者が描かれている。

   能動的で頭を働かせている、今までの老女ではない。

   死ぬまで、動き回らなければならないと。





   まず太った役者の出番はない、若者はこの映画を見ないだろう。

   いま日本が進んでいる戦争への道、戦時中映画としても見える。

   これは演技の活動性と、社会そのものの流れと連動していると思う。

   老女が山へ捨てられる本来の理由は、食べ物がなくなる(飢餓)こと。

   今の時代とかけ離れていると思えそうだが、そうではない。

   2017年、貧困社会だといって、誰も否定しないだろう。





   デンデラという地域は、女性ばかり、男がいない。

   その点に私は、興味をひかれた。

   老女を生き延びることのできない、山に送り出したのは

   ほかならぬ男社会、旧社会だったということ。

   老女をゴミ扱いにし、山へ捨てたのは社会そのものだった。




   これと同じことが、日本の政治、国家そのものに当たる。

   テレビを見て、役所に足を延ばしても、のさばっているのは男ばかり。

   現実に、選挙権を持っているのは、長生きしすぎた女たちばかり。

   女性の選挙権を得たのは、100年もないというのに浮かれてしまった。





   どさくさに紛れて種子法を廃止した、子どももいないのに保育所を作らず学校を作る。

   安全な食べ物を確保せず、健康に生きられると信じ込んでいる。

   すべて子どものいない女性が、政治にかかわろうとしないそれが元凶。

   どんな子どもも、この女性によって育てられるのですから。

   不幸のもとは、この女性隊に生み出されるのですから。

   暮らしの安全そのものが、この女性によって測られるしかありません。




  
   出演された女優陣に、拍手を送りたい。

   長年、表現の世界に携わってきたからこそ、この映像につながるのでしょう。

   打って変わって、文化は寂びて滅ぶばかりしかありません。

   テレビは、無くならないとお思いか。




   健康、長生きであれば満腹。

   安全、幸せ、医者や薬は間違わない。

   それを信じるか、信じるかは、自分でしかありません。

   女性の頭が、自意識を持ってくれるように祈るだけです。