Youtube の役割


Youtube の役割




 題にこだわることなく、時間があればネットで鑑賞する。

 ネットそのものであり、映画・本でも共通するのが、

 読者・視聴者が数えるほど少なくなったこと。

 そこから見えてくるのは、ストレスを描いた作品が多いこと。

 見ている者が、つらくなってPCを止めてしまう。



 
 表現したい中身が、ストレスというのは驚き。

 伝えたいものが正当である、としてそれが浸透するなら、

 政治の統治者、自治の首長が見ていない表れでもある。

 見ていれば、何かをしなければと思うはずである。

 彼ら自身も、ストレスを持つのが嫌で、鑑賞しないだろう。

 能力がないのだろう、結局は。





 同様にメディアも、事の本質をつかまないまま、ガサネタを

 流しては自己満足をしている、という構図になる。

 表現芸術において、何が描かれていて大衆に何が共感されるか、

 それは先端を走っている者として、最重要課題のはず。

 年末年始、Youtube を注目してみた。






 就職氷河期の描かれた作品が多かった。

 これからの経済を予測する、雰囲気を受けた。

 働き口がいくら多くても、自分が働けるとは限っていない。

 ロボットに仕事を奪われるかもしれない。

 ここは、人権を大切にしない国なのである。





 テレビ・新聞・ネットを信じ込んでいるのは、

 特定の信奉者でしかない。

 安全で、安心の日が過ごせると、思い込んでいる人。

 戦争になっても、戦地に行くことないと信じて。

 消費税が上がって、物価が上がり、年金支給額が下がる。

 働かなくては、暮らしていけなくなる。

 高齢者と若者が、労働市場で競争相手になると。







 この中のシチュエーションで登場してこないのは、

 女性たちでしかない。

 自分たちで候補者を立てるでなく、

 年老いた「男性たち」に投票する。

 後ろ向きの社会。






 日本の人口が、大移動しているのではないですか。

 関東・東京から西日本へ、2011年から移動しているのではないですか。

 それに逆らって、出産年齢を控える女性たちが、関東に就職へ。