維新の罪

 維新の罪




 大阪と、切り離されて暮らしている。

 縁もゆかりもないのだが、ここにきて逃れられないのを感じた。

 自民と関係もなかった、しかしここに印を刻まなければ、この後

 災いがとめどなく国民に襲ってくると考える。





 文化を根こそぎ剥いでしまったのが、維新である。

 新などという言葉を出したくないが、本当の言葉を使わないのがこの国。

 数年たてば、維新という言葉さえ使われなくなるだろうと、思っていた。

 それが、自民・公明と輪が重なってしまい、官の総称になってしまった。




 役所で講義を聞いていると、他の部屋から流れてスピーカーから

 声が溢れてくる。部屋の声と外部の声が重なり合って混乱する。

 スピーカーがふたつ、共鳴する。

 部屋のスピーカーの音声を制限できない。

 この現象を経験して、維新の存在を改めて認識。





 維新が登場して、公務員の質はさらに低下しただろう。

 維新が出てきて、公務員の必要な数をさらに増やしたことだろう。

 あとは、次のどのタイミングで公務員の数を減らすかしかない。

 文化だけに影響を与えた、と思っていたが、それだけでは済まなかった。






 自民公明の力を加えて、日本人という人材を劣化させた。

 かつて、私企業という枠で、人材の質的劣化で住ませたが、

 正社員・非正規で分けてみても、同化してしまう。

 維新が登場して、「議論をしなくなった」はず。

 その上に自民・公明が、「押し切る」ようになった。

 議論・討論がない。






 コスト・効率という概念がない。

 生粋の公務員から派生した、労働ではないため、団体の活動にはつながらない。

 いつまでたっても橋下という名が、後追いを続ける。

 もういい加減、親離れをしてもいいはずなのに、何年たっても自立できない。

 団体のルール、というものがない。





 維新が、進めているのは、民営化だと思う。

 自分でやるのではなく、他人に任せる。

 自分が汗を掻くのではなく、安くあげることしか頭にない。

 維新とか自民の名前が、後世に残るとは思えない。

 




 国民から搾った税金で、なんでも穴埋めできると、

 あの頭で考えている。