家族というもの

 家族というもの





  若い人と初めてといっていいかもしれない、人前で会話をする。

  ほとんどの人が、職場での対応に苦労をしている印象を受けた。

  若者自身が、正社員・非正規という言葉を用いて、自分が異端者で

  被害者でもあるかの様相を扮する。

  言葉の魔術、日本語の差別化か。





  言葉の本来の意義は、区別するのが目的である。

  女と男、何かが違うか。それが万人に解りあったとき、

  トイレの入り口を確かめられる。

  妻と夫の役割が、お互い納得の範囲にあるとき、

  相手の性を受け入れ、結婚しようかと思ってみる。





  日本人自身。その言葉に縛られ、身動きができないほど、

  プレッシャーを掛けられる。

  道路上の、日本語の立て看板にどれほどプレッシャーをかけられていることか。

  誰でも日本語が、読めると思うことこそ、社会の傲慢である。(グローバル)

  字が読めないことを理由に、無法な政府を糾弾してみては。






  女が好き、それで家族を持ちたかった。

  核家族が増えることで、消費の需要が伸び、日本経済が成長した。

  家族を持ちたい、結婚をしたい。

  それは過去のこと、子どもはいらない、働きたくない。

  家を宿す願望が生れなければ、この社会に生きていくわけ(理由)が見当たらない。

  人口減少が止まらないと、この国の存在意義はない。

  




  不思議なことに、子どものいない人が、あたかも家族を持っているかのように

  周囲の人へ心配りをしてくれる人がいる。

  あなたの周りに、そのような人がおられるでしょうか。

  幸せは、幸せな人が運んでくれる。

  子どものいない人は、そこまで気配りできるでしょうか。

  





  この国にとって、未来の在り方を模索するに不都合なもの。

  子どものいない人が、将来を考えているのです。



  家族を持ちたいと思わない若者を、替えようとしない政府なのです。

  当然、国としては、成り立ち得ない。