自分とは 何なんだ

 自分とは何なんだ




 がらんどうの頭を、ほじくり出た言葉。

 団塊に向かって、突きつけられた問いかけ。

 学年クラス、総勢16組にあてがわれた教室は、運動場に建てられたバラック建てだった。




 記憶をたどれば、その時、明克美先生から教わった。「けじめをつけろ」

 という教えだった。小学生から中学校に入ると気持ちが高ぶっていたのだろうか。

 精神を集中させる、意識が低かったのかもしれない。先生から教わったのだろうか、

 木造りの椅子の背に(自分の)両手を回し、後ろ手になって「落ち着かせていた」。





 あれから50年後、外国人と一緒になったり、初対面の人と意見を交わす場があった。

 その対話が連日続き、それと合わせて酒盛りも続いた。

 別の行事にて、日本で初対面の方と、ワークショップに参加する。

 高校生を連れ立って、母親が加わっている。





 食事とかミーティングの前、打ち合わせ等でアルコールの承認が確かめられなかった。

 外人参加もありうるワークなので、アルコールは当然かもしれない。

 アルコールに耐えられる体質が、世界標準なのかもしれない。これは『壁』だと私は捉えた。

 交流するうえで、思考を深め共有化する障害となる。




 
 酒盛りが続いたというのは、論外である。何ができるか、それは一つひとつ

 照らして理解できるもの。何もかもできると思い込んでしまうと、そのツケは

 次の瞬間わが身に降りかかってくる。正しいと思い込み、勢いに任せて

 誰も酒盛りを止めようと言わない。





 アルコールは、欠かせないモノか。気持ちを和らげ、精神を集中させる効果がある?

 アルコールによって、痛い目に遭ったことない?

 ちなみに私は、アルコールに対する劣等感はもっていない。

 飲む量より、人生の中でいかに長く酒を楽しめるか、考えながら味わっている。





 酒の通でもない、銘柄を知っているわけでもない。

 何を楽しむか、頭をいかに活用するか。

 改めて、ケジメという言葉を思い起こし、人生を

 後戻りをしている。