いしょ

いしょ 2016・07・13






 節目にたどり着いた。

 テレビ新聞も見ないまま、書き残しておく。

 社会の変わり目のいまだからこそ、よく見えるのかもしれない。






 大声で言うと、若年層は日本人だからと言って、私たちのように

 長生きできると早とちりをするな。

 世界からみて絶滅危惧種に近い、日本人の存在。

 エスカレーターの片方に、足をひきずって、

 走ったりする、ぐうたらなのである。






 経済が上がり調子なのに、便利な道具だとして、自転車を

 使う。昔の中国を思い出させる、交通信号で自転車が、

 一斉に並んで走りすぎる。

 思い返せば、自由に散策する元気を持ち合わせていない。

 少ない時間に、支配されている人生。





 自転車の多用は、健康に対する考えをまとめているように

 思えない。中年と青年が明瞭に分かれていない、なぜなのか。

 身体がなまっているのではないか。






 健康や知識、学びに疎いのではないか。

 テレビ新聞のせいにはしたくない、受信側の責任がある。

 消化する能力のない、情報を受け取る側に問題がある。

 ネット情報には、限界があることが分かった。

 ここにも『時間』との闘いが生じている。






 書かれた事象にしか興味がわかず、考えるが継続されないのだろう。

 ネット社会の限界か。

 ケイタイを抱えた同士が、会話をしない図が眼に浮かぶ。






 要は、ケイタイを抱えた人に、会話能力を備えていると

 思えない雰囲気がある。

 ぶつぶつと唱えているように聞こえる。

 言葉が、はっきり聞こえないのだ。

 コミュニケーション能力を欠いている。