曜日が、出てこない

薪能    2002年   横浜録音図書(株)  


  著作  立原正秋



  朗読  梶けいこ





  恒例の鎌倉薪能が今年は九月二十二日に催される、と昌子が

  知ったのは、八月も末であった。その日の午後、昌子は買い

  物に出た帰りに、若宮大路にある鎌倉彫の源氏堂によった。

  季節はずれの涼しい日で、街にはどこかもう夏の名残が感じ

  られる一刻であった。















曜日が、(頭から)出てこない。

  




  歳をとる、こういうことなのか。

  自分の気持ちと裏腹に、好んでいないことを強いられる。

  Window 10  がそうだった、更新を拒否できない。

  何もよく知らないことが、先の利につながらない。






  先のことを、

  売る側の企業も、販売員も何も考えていない。

  パソコンを買う時点から、サーバーは限られていた。

  パソコンを売る手はずのとき、すべては決まっていた。







  データー量によって、回線速度が遅くなる。

  何をするか、何ができるか、それを決める自分。

  自分が最終的に、良し悪しを判断するしかない。

  いくらまで費用を捻出できるか。

  






  データー容量を考えず、久しぶりに動画をみた。

  動画のすばらしさは、聞くほうが現地に出向かなくても

  ゆっくりと声が聞こえること。

  学校の講義でさえ、家で聞くことができる。






  孫崎 享さんは、輝いて見えた。

  孫崎さんは、何を見ているか、それがわかった。

  あのエネルギーは、どこから発しているのか、もっと動画を見たい。









  孫崎さんが、発信できない、排除させられているという。

  排除させられているのが、テレビであり新聞。

  未来のないテレビに、しがみついているこの世を想像をした。

  考えない、字を読まない世界。

  






  すべて、消費に関係している。