タラップからおりる、顔をみると

 タラップから降りる、顔をみると








 もう息が整わない、羽目に。

 金で苦労はしたくない、打ちでの小槌が振るえない。

 そもそも経済は、どん詰まりになってきた。






 経済が浮上するまえの、最悪の時点へ、

 時代は逆戻りをした。

 また消費税増税を延期するという。
 
 消費税を上げることは、破滅に近づく。

 世界が、後ろ向きに動いている。









米教授 首相オフレコ発言

 真偽、どちらの信を求めるか。

 招いた日本側は、誠意がなければならない。

 招かれた教授は、言われたオフレコにしなかった。

 そのことで、教授が責められても、

 仕方がない立場にあった。

 そのオフレコを、教授はネットで公開した。






 
 この表の話を聞いて、笑ってしまった。

 秘密保護法、哀れの一章ではなかろうか、国民の声を

 操ろうと法で縛ったわけであるが、外人には適用しなかった。

 オフレコは、オフレコ。

 日本に招かれ、対価なしに意見を求められてはいないだろう。

 契約を履行しないとして、教授の講義・授業料を拒否してもよかった。

 所詮、国費。

 国民の誰も気にしない、対価・支払いである。






 米教授が、なぜネットで公開したか。

 何をもって、公開に導いたか。

 信念か、真実か、学問か。

 そこに、タラップに見せた首相の『顔』を思い出した。

 醜い、顔のしわではない。

 なぜ醜い顔を、この顔を新聞に公開したのか。







 美醜は、化粧によって隠せる。

 化粧品は、金を手に入れることで使える。

 顔は、生まれから生じるもので、自分のせいではない。

 品ともいう、生粋の『顔』。

 そう、それは家という財産を貯めこんだ金。

 金によって人生をゆがめられたか、苦労させられて〜

 きたかどうかに、かかっているのではないか。









 先生と生徒。

 教授と首相。

 この場で、二つの人生が闘われたに違いない。

 そのあと、オフレコは何ら意味をもたなかった。

 









 職を問えば、

 会見の場では、政治家と教授の違い。

 先生とその教えを受ける、生徒。

 オフレコにするよりも、会見を公開するほうが、

 社会にとっていいと、教授が判断した。

 人が、顔によって選ばれる、恥ではないか。

 オフレコを申し出たのであれば、のちに公開した

 のを抗議しなければいけないのに、何もしない。

 税金の使い方が、よくわかる。








 自分の金を持ったことがない、そういう人間が金を

 扱っているのが、いまの時代だろうか。

 自分が扱うことで、災いをもたらした、そういうことが

 あれば、反省をするものだが、この国ではそれがなくなった。

 年金の活用で、株に資金を運用しておきながら、

 誰もその答え結果を求めようとしていない。








 政府は、回答をしようとしていない。

 これも未来の国民へ、背負わせようとしている。

 貧乏人ほど、カネに疎いことを他人に見せようと試みる。

 金に疎い、日本の経済。

 浪費すること、国策の本位なりか。








 他人、未来の国民に、

 金を背負わせる、カネ奴隷。