裁判をみて

 裁判をみて






 裁判を見て、感想を書いてみた。

 その原稿をここに示すことは、まだできない。

 5日かけて原稿をチェックし、いま書かなければ

 発信する機会はないだろうと思った。






 その裁判は、初めての裁判所でした。

 知り合いと共に、傍聴席で座りました。

 幻滅を感じ、これから何をなすべきか

 思いついたことを書き記しました。






 書いた中身をここに残すのは、躊躇します。

 裁判は終わってはおらず、個人的な裁判でなく

 私の勝手にするに、いま早すぎるのです。








 時間をかけて、数日使ったのですが、何を書いているのか

 どうも理解されなかったようです。

 反論や回答は、何も寄せられませんでした。







 手に補聴器を持ち、陳述を聞こうとする傍聴人。

 それを裁判の管理人が問いただします、

 「それは、 補聴器ですか?」。

 この国は、聞こえるような声を出そうとせず、

 聞く者が聞こえるような手配をしなければならない。

 






 裁判ではプロジェクターが使われ、陳述されたのだが、

 マイクを使って声を行き渡らせようとしない。

 マイクが登場しなかった。

 なんと心寂しい、国なのか。

 この国が無くなるまで、裁判は休むことができまい。

 我々は、この国を手放すことはない。






 
 米教授、首相オフレコ発言

 日本の笑い話、歴史上に残る政治となる。

 これが、政治屋の実態です。







 予見されて、その方向へ、

 まったく反対の経済(政策)を選ぶとしたら、

 日本の国を捨てるということ。








 現実の結果は、それをすべて知らしめる。

 あと数カ月で。