気力がなくなってきたか
気力がなくなってきたのか
若者が遊んでいる場所に、集った。
もともと人の集まるところは苦手。
並んで順番を待つというのが、できない。
途中で逃げ出したかった。
過去をたどれば、昔の祭りみたいなもの。
入場する、食べ物をもらう、サービスを受ける。
そのすべて、待つという修行をした。
同時にその対価を支払わなければならない。
自分なりに楽しいことを計画して、やることがうれしい。
それが本来なのに、対価を支払って楽しむ。
それに集った、周りの人たち。
本来、高みの見物をするために『上がった』、
その興味の延長で、輪をかけて新たな楽しみを設けた。
これは起業だろうか、いやそんなことはない。
自分が若いときであっても、こんなことはしたくない。
純粋にやりたいことを考え、追求しようとしていないから
『いらいらする』のではないか。
この集いで学びの場を勧められた、素直に入会した。
日本で二つとない、学習塾らしい。
高みの見物をすると、墓場をみつけた。しかし、その高いところから
墓石が見つけられない、高みから墓場として見えないのだ。
墓場は、何度も訪ねたことがあり、間違いのないところ。
高いところから見るのは、重要なことではなく、知らない場所を
なんども自分の足で歩くのが「実」ではないか。
上空から見た、墓のありか。
まるで草原、庭に映る。