お腹がいたい

  お腹がいたい






  お腹が冷えたか。

  食べ過ぎか、悪いものを食べたか。

  痛い理由がわかればいいのだが、

それがわからない、そこに問題。







  幼稚園落ちた、日本死ね

  ディスレクシア

  幼稚園で連想したのが、ディスレクシア

  しきじきょういく、という言葉を聞いた。

  日本人同士では、通じにくい言葉だと思う。

  私は、日本語ボランティアと活動を例に

  ”しきじ”と並べてみる。

  しきじという名前は、よくないと思う。








  傲慢すぎることばが、識字だと思う。

  字か漢字か、言葉を図るのは本人次第。

  話を幼稚園に戻すと、私は幼稚園に

  通って学んだことがない。

  劣等感を抱えるまで至らなかった。






  言葉で測ってしまうのが、今どきの大人の

  解釈と物差し。

  声が出せず、聞こえない、モノの見えない。

  そういう不幸を想像できない人がいる。







  誰でもトイレで用を済ませられるとは限らない。

  そこに幼稚園が、登場してくる。

  最初の学びを教えてくれるところ。その情報がなければ、

  いつまでもそのことで悩まされる。

  先ほどの『お腹が痛い』、その理由がわからないこと。

  では何をすればいいか、それがわからない。






  小学校では、字を習い始める。実際、小学校では

  学んではいないようだ。通い始める前に、字を学んでいる。

  つまり、すでに幼稚園で学んでいるという。

  通常で、考えられないペース配分。






  では、小学校で何を学ぶのだろうか。

  それが、最初の”幼稚園落ちた、日本死ね”につながる。

  幼稚園がそんなに大事なものか、それを決めるのは本人。

  そして、本人に知らしめるのは親でしかない。

  その上の中学、高校も同じだろう。卒業と退学を決める

  本人次第。

  通ってなんぼではないはず、価値は自分で決める。








  スタート地点を人と一緒にしたい、というのが人情でしょうけど

  頭で描いていても、叶えられないのが人の一生。

  予測もできないことが起こるのが、この世ではないか。

  あなたの持っているケイタイに、すべて書いてありますか。