まだ介護で、守られていない

 まだ「介護で」もって、守られていない





 足元がおぼつかない。

 かかとが、痛くて歩けない。

 なぜ痛いのか、足元をよくみるとひびわれがあった。

 自分の目で見えない、隠れた場所。

 7センチほどの傷ふたつ。





 同じ日、郵便保険の面会を受けた。

 死亡に至るまでの生存保険金を、あと

 二回受けるため、手続きを受けた。

 本来、死亡受取人が立ち会うの望ましいが

 ひとり暮らしである、私の場合は異なる。

 死亡と生存保険金を受け取る用意をする。





 講演を聞いた。

 講演会は有料、この時勢では一般的なこと。

 何か催しがあり、参加するとなると

 必ず会費が必要になる。

 これが、今の日本では、常識になっている。

 これを、普通といえるだろうか。

 情報が豊かになったにもかかわらず、

 人を集めるのに金を必要とする社会。

 こんな社会は正常ではない、情報が歪んでいる。






 社会にとって何が一番、高価だと認めるか。

 情報か、教育か、利益誘導か。

 金儲けの話か。

 それは人の一生における、時間の浪費でしかない。

 あなたにとって、教育は有益であったか。

 人にとって、有効な時間を過ごせるよう、

 社会機関は配慮しなければならない。





 福祉大学の広告が、目につくようになった。

 大学が必要で、この社会に需要があるのだろうか。

 若者が働く場所を持たず、生活ができない現実が

 ある限り、いびつな大学を見てしまう。

 人口が減少するのだから、それでいいはずがない。






 大学の奨学金の形を変えるための、

 事業展開する催しに、講演が開かれた。

 遥 洋子さんの講演で、彼女の結婚と介護の

 経験談になった。

 少子高齢社会だと決まってから、まだなお

 介護のテーマで出版されることに驚かされる。





 
 虐待という言葉で絞められましたが、

 男である私としては、強烈でした。

 介護を受ける男は、虐待を跳ね除ける力は

 貯えていないでしょう。

 介護施設で待機しているのは、女ばかりです。






 悲しみの、男のからだを知りました。

 生まない、男のからだ。

 ヘルパー二級で学ばない、現実だった。