声音

 葦は見ていた    2004年   (株)新潮社

 著者 山本周五郎

 朗読 江守 徹


 愛する男、計之介の武士として立身を妨げぬよう、

 自ら身をひき入水自殺芸者おひさ。そして、その後

 出世の道を歩む計之介。二人の姿から、”青春の情

 熱”と”壮年の打算”とを対比的に描き上げた。





おさん               朗読社

 著者 山本周五郎

 朗読 守屋政子

    上恭ノ介





 腕のいい細工彫の職人の参太はふしぎな縁からおさんと

 知り合い、そのからだの魅力に夢中になり所帯を持った。

 参太を魅了したおさんのからだは、この世のものとも思

 えないほど深くそして激しく彼を酔わせていった。










 声音



 聞いていたのは、年老いたものは、声が聞こえにくいこと。

 声が、聞きとりにくいということだ。

 ところが、現実の世界はそれと逆になっている。

 老いた者は、敏感に声を聴いている。





 電車に乗っていて、子どもの声が聞こえる。

 子どもの声が異常に、声高に聞こえてくる。

 親は一時、そのことを制するが後は胡散霧消。

 なぜどうして、声高に聞こえてくるのか。

 なぜなのだろう、幼児の声を聞いたことがない?





 そのこたえは、その子の親に還ってくる。

 声を発するにしても、その子の声音が大きいか小さいか

 それを知っているのは、親しかない。

 大きいか小さいか、そのことを子どもに伝えているだろうか、

 その疑いを抱いてしまう。

 親としての、(客観的な)役割を欠いていると。





 極端な例として、幼児の自殺が挙げられる。

 学校へ学びに行く、その前に”自殺”という行動を選ぶ。

 自殺という行動が、なぜ幼児に(情報として)伝わるのか?

 そのことが、どうしてもわからない。

 学校に学ばない幼児が、どうして伝わるのか、

 伝わるとしてその責は、親しかありえない。

 親は、首つりを話したことがあったのか。





 日本の40代の世代に、問いかけたい。

 あなたは、次の世代に何を伝えたいですか?

 伝えたいことは、なんですか?