帰国するとパッシング

 帰国するとパッシング





   旅をする目的は、旅先を知ること。

   しかし、それ以外の楽しみ方があると、信じていた。

   旅で、同行したもの同士が交流するという図。





   対象を海外に求めるのでなく、自分など内側に焦点を当てる。

   自分の今までの人生で、旅がどういう位置を占めてきたのか。

   旅に出ようとする、その意欲はどこから生まれてくるのか。





   最終的に、これらはあくまで個人的なこと、それを知る術はない。

   同行させていただいた、旅の仲間は、多く世界の旅を経験した人物。

   それら旅の動機を、伺うことはできなかった。

   旅で何をしたいのか。






   私の場は、自分と自分の持っている文化を比較すること。

   何が異なり、どこに違いを感じるかにある。

   それを確かめるに、旅先に自分の身を置いてみるしかない。

   どたどたと、他人の土地に入り込む。

   そこから自分が何者か、他人に知らせることになる、不審者か、泥棒か。








   どの時点でも、そういう態度をとることはできない。

   一瞬でも安心できる空間を持ちたいと願う、それが群れに近づくこと。

   男という集団、日本人など。集団を作り自分の価値を周りに撒き散らそうとする。

   どちらが異端か、あいまいにしようともくろむ。

   




   
   施設を見学して、不愉快を感じた。カメラを持参するとカメラ(使用料)を取る。

   バッグの中を調べるから、中身を見せると受付で預かるという。

   その預かり料が3ルピー(?)、観覧をして領収書を渡すと、受付は破り捨てた。

   カメラは戻ったが、領収書はない。

   インドの「腐敗」を感じた。






   外人の数少ない地域を訪ねたようだ、カメラで撮っている場面に遭遇しない。

   それでいてネィティブな人は、優しく受け入れてくれた。

   インドの人は、ほんとに優しい人ばかりだ。

   交わした言葉は、すくなかったが、インドに身を預けたことで、

   それにふさわしい体力づくりの、大切さを思い知る。






   
   メディアの報じる世界のニュースは、どうだろうか。

   井の中の蛙。世界に飛び出そうという流れが、途絶えてしまった。

   観光国家を目指そうとしても、国民が外に出ようとしなければ、

   観光するに値する、旅先(日本国)になりえない。

   電気ガマを買いに、日本へ訪れようと、一度手に入れてしまえば終わり。

   いっそ中世期の国、鎖国としての日本を売り出すか。








   マンションを売り出している町を発見した。

   新しい住民を生み出す家として、展開するのだろうか。

   古い家屋が残っている地域で、新しい家族がどう育っていくのか、

   楽しみな社会を想像します。