織田作之助   『わが町』

  織田作之助  『わが町』




  1956年  川島雄三監督  原作 織田作之助

  出演   辰巳柳太郎   大坂志郎

  映画を全編見ているわけではない、シーンの一部しか見ていない。

  恐縮しながら、それでも雑談しながら、映像を垣間見た。






  映画というのは誰でも、子どもであっても理解できるもの。

  人の動作と日本語のセリフが語られるのだから

  幼子でもわかるはず、その思いがつよい。

  演技者辰巳をみて、一層その気持ちが変わらない。

  物語が3世代につながると、これはむつかしい題材だと思った。





  織田作の『夫婦善哉』がある。

  文学といわれる世界と、映画のちから。

  どちらが強いか、映画は何度となく見た経験があるが、

  本を読んだことは一回もない、映像が頭にこびりついているため、

  読んでみようと、考えたことがなかった。






  小説というより、脚本という言い方が向いているのかもしれない。

  原作を読むところまで至らず、漢字を読めるだろうかと試してみる。

  書かれて74年経った、しかし日本語が読めない。

  戦後書かれた文学が、読めない。






  原作に沿って作られた映画であるが、映像を見ても理解しにくい。

  少年であっても、大人であってもわかりにくい内容になっている。

  他人の人生を俯瞰的に眺めてみるということ、第三者の目で捉えてみるということ。






  人生を長いスパンで眺めてみる、そして『わが町』という題。

  主人公の生き方と、「わが町」と語られた関係は何であったろうか。

  町そのもの、移り変わりがあったのだろうか。

  住民からみれば、町そのものに影響を与えることはできないものだろうか。







  主人公の一大事は、マニラへ移住すること。

  働く場所を求め、その地で健康に過ごせる。

  どこにいても、安心で暮らせるとは限っていない。

  健康で生きられるとは、たまたまそういう環境におり

  頭で想像するだけに過ぎない。






  これが、戦後における

  頭で作った絵でしか過ぎない。

  四ツ橋プラネタリウムの意味するもの。

  大空に映る星の数々、それは客観視すること。

  歴史のなかで、自分を俯瞰して捉えること。

  




  文学の世界、字で読むことで入り込める領域。

  字の読めない者が、映像を通して主人公になる。

  文学より映像のちからが、より伝わりやすい環境であった。

  しかし、文学も映像の世界も、感じにくい日本人になったかも。







  織田作之助が描いた、「わが町」大阪とは汗を流す文化だと思う。

  馬車馬のように、車を手や足で引っ張って動かす。

  働く者同士が、競争し合って稼ごうとする環境。

  そこでは、楽をして金を得ようとする考えはない。

  誰よりも早く、楽な利益を得ようとする意識がない。








  その時代を通り抜けて、

織田作之助は、どういう人物であったのか。

  馬車馬のような働き方と、無縁な人ではなかったか。

  文学という世界に、はまり込んだのではないか。