情緒的な虐待

情緒的な虐待



  

  言葉というものに、限界を感じる。

  人と人がつながるというイメージ、それを前提にして、

  ネットワークが広がってきたのが現代。






  友達・親子同士が顔を突き合わしていても、

  手にはスマートフォン、顔を見合さないふたり。

  持ち合っているのをみて、これ何なんだ。

  これが、つながるってこと・・・・。







  歩くのが難しくなり、話すことに億劫になってくる。

  歳を重ねるごと、新しい壁を自分が作ってしまう。

  コミュニケーションのパイプが、次第に細くなっていく、

  いったい何故なんだろうか。







  人が持っている「言葉」の、特殊性が性格を表しているか。

  「うつ病」と声立てられると、その範疇に入るか否か。

  入らないとすると、次なる病が頭にもたげてくる。

  学術的区分け?






  互いに話す時間を持っていそうで、対話が生まれない。

  一方が話したいと思っていても、叶えられるとは限らない。

  伝えたい話したいという両方の思いがなければ、会話につながらない。







 
  一緒に住んでいても、共通の思いが生まれることはない。

  コミュニケーションの時間が、いつでも保てるかそうでもない。

  今までの人生を振り返って、考えもしなかった、人の不幸を

  改めて考えることができた。

  想像もできなかったこと。


  



  人から人へ、親から子へ 「教育やしつけ」と称して

  重大な間違いを犯してきたことを、反省させられる。

  文化の違いや、宗教の違いなどで片づけられる簡単なことではない。

  コミュニケーションのあり方を、根本的に問われたものだと感じている。







 
  書物の紹介で済ませられることではないが、読んでもらうしか、

  とてもこれしか、私に出来ないことです。

  『 誰が星の王子さまを殺したのか 』

  モラルハラスメントの罠

  安冨 歩 著

  2014年8月30日

  明石書店









  発刊されたばかりなのに、予約し図書館ですぐ読むことができた。

  読書人口は、下がり続けているのだろうか。