みっともない、あさましい
みっともない、あさましい
手術をしてもらえるかもしれない、喜び勇んで診察を待ちました。
杖を手放して、どこへでも無制限に歩ける、もしかしたら走れるかも。
そう希望をもって受けたものは、しぼんでしまいました。
待合で座っている人の、病の程度や患者の年齢を値踏みしている、
自分をながめます。
アナウンスする患者名を聞きとるに、人の会話が掻き消して
聞き取れない。
待っている時間が長くなり、うろちょろする人、食をする人。
早い目に待っていた私は、30分経って、整形の受付に尋ねた。
「はい、次あたりですよ」と言われた。
その受付の前で、その看護婦と待ち時間を有効にする術について、
話をした。その間、次々とカルテが受付に渡される。
整形は、患者の数が無限に広がる、医療分野などと感じる。
身体の表に出る、不都合や変化を素早く察知する感覚。
他人の体を注視してしまう、日常からかもしれない。
手術はNO の答でした。
検査の指示をいただいたのは、別の医師で、その結果の
判断していただいたのは、今日の先生でした。
患者の数の多さ、患者の年齢層の幅。
自分の身体の症状を、どこまで受け入れるか、それと先輩たちの
振る舞いを拝見して、自分の心を落ち着かせました。
身の回りの知人に、余命を宣告された人がいます。
自分の身体との折り合いをつける、人生の終盤かもしれない。
ここで、「あさましい」という思いを感じました。
人間は限りなく欲望を持ち続け、今までできていたこなしてきた過去を、
記憶を消し去ることはできないモノか。
MRI と レントゲンの検査 CD をもって、二つの病院巡りをします。
病が治るというより、この先の症状がどうなるか、事前に学びたい。
その思いで成ったのか、紹介状を二通いただくことにつながりました。
「みっともない」
他人から見たら、どう見えるだろうか。
その思いから発しています、いわば他人視線を重視した考え。
自分の身体だけが、元の体に戻ってほしい。
人を跳ね返してまで、自分の身体を正常に戻したい、
とは思っていない、ニュートラルな感覚にいると思い込みたい。
MRI と レントゲンの写真を見て、自分の骨を愛おしく思いました。