よちよち歩く    7時間あまり

 よちよち歩く  7時間あまり


  駅から西の方角へ、歩いてみようと思った。

  なんだろ、ゆっくり時間をかけて歩くきっかけづくり。

  立派な道路は、何本もあるが道路に行き先表示板がない。

  国道であっても、たどり着く先の細かい表示なし。



  道が四方に別れて、作られていたのだろう。

  試しに足を運んでみるしかない、何かヒントになる表示があるかも。

  国や県に、予算が有り余っている時に作られたのであろうか。

  どの道も新しく作られた、舗道に見えた。

  完成された年代が、同じではないか、違いはわからない。

  7時間休みなしの歩き、人とすれ違ったのは2人。

  
  
  道路は、車のためこしらえ、歩道のついている道は少ない。

  道路の隣に小学校のプールを見つけた。まだ暑くないのか、

  子ども達が体を震わせ、先生の指示を受けている。

  この生徒たちが、この歩道を利用して通学するのだろうか。

  大人が道路を歩いても、心細くなる部類の道だ。




  通学路になるかもしれない、すぐそばの公園に入ってみる。

  誰も利用していない公園なのか、公園の整備をまちに依頼しないのか。

  階段を上って、草がぼうぼうの公園をみると、周りに住んでいる

  大人たちも公園を活用していないのではないかと、勘ぐってしまう。



  この団地が、駅の近くとして開発された、最初の施設ではないか。

  区画の土地に家がなく、発売開始から家を建てなかったのではないか。

  連なっている3軒分の土地が、野ざらし状態であった。

  駅を出て見られなかった商店が、幾分この団地に集まっている。

  コンビニが一軒、重要なインフラになっている。




  その先を歩いていると、駐車場を抱えたJAの施設がある。

  表に何の表示もなく、閉設されていて業者が手をつけないのか。

  団地の一角占め、広く販売をしていたのだろう、

  その反対側へバスは、停留所に着いた。



  行き先の住所はわかっているのだが、周りに交番はない。

  人に尋ねるにも、家の外に人が出てこない。

  散歩をする、外で動いている人を見かけない。

  まちの新しい宣伝用の掲示板はあるのだが、地図として使えない。

  この道を続けて歩けばいいのか、その地図をみてもわからない。

  役に立たない地図。


  


  公民センターに近寄って、番地を確かめようとしても、

  センターの表札や住所・所在地名を、掲げていない。

  もちろん、その前に家の前に立って、表札を見て、

  そこから所在地を確かめようとしても、苗字が書かれているのみ。




  このまちに住んでいる人を訪ねて、迷い込むということがないのだろうか。

  そんなことを考えながら、あてどもなく道をうろうろしていた。

  歩いて訪ねることを前もって、泊まる家に伝えていたので、すぐ見つかるものと

  甘くみていたということ。

  


  1人暮らしかと思う、ひっそりとした家。

  首輪を掛けられているのだが、道に放たれた犬。

  病人が住んでいるかのような、荒れた庭を抱えた質素な家。

  人が歩くとけたたましく吠える、家の鎖につながれた犬。




  泥棒という犯罪が、この町で発生するのだろうか。

  何も知らない他人は、寄りつくことなく、話をする必要もないか。

  反対に、近所の人たちは、お互い助け合って暮らしているに違いない。

  


  新しい住民が加わるには、たいへんな労力が必要だろう。

  別のセンターには、同和、部落の表示がされていた。

  住んでいる場所を明らかに、表示をしない風習でいながら、

  一方で部落解放という言葉を、周りに広げようとしている。

  これも一種の、原子力ムラだと思った。