1900年

1900年   1976年   イタリア・フランス・西ドイツ
 NOVECENTO
1900
NINETEEN HUNDRED


 監督 ベルナルド・ベルトルッチ
 出演 ロバート・デ・ニーロ
    ジェラール・ドバルデュー
    ドミニク・サンダ
    ドナルド・サザーランド


  
 1900年の夏の同じ日に生れたアルフレードとオルモ。
舞台となるポー河 流域の農村地帯を捉えた。
 やがて成長したオルモは、搾取される農村社会を救うべく
立ち上がり、地主となったアルフレードと対立する。






  
 http://www.youtube.com/watch?v=hsBo3rN6Z1M





 例会の映画鑑賞。
 映画を観ることに意義、しかし何事も集中できない。
 年代は、時を超え「頭だけで、生きていこう」と。


 映画を観ることより、映画を観てからの感想会に比重をおく。
 自分では理解できないはなしを、みんなから教えてもらえる。
 1人だけの視聴では、とても得られない知識。


 1976年の世界と、ベルトルッチの心情を考えてみる。
 社会的な面からみて、労働讃歌を愛でているかのような描写。
 革命や変化を待ちわびている、冷めている目で社会を見つめる。


 農民と機会革命の位置づけが、印象的に映る 。
 トラクター、脱穀機などが、農民の労働と切り代わり、
 対価として払うには、高すぎると働く機会を奪われていく。
 労働に新しい機器や機械が導入されて、労働が疎んじられる。



 機械に翻弄されていく、労働に対する社会の機運を感じる。
 機械を動かす、オペレーターの役割が認められていない。
 極端な例が、労働災害である。
 戦場から兵士が、脱穀機などの機械設備の充実している、
 農場現場に突然現れる。
 

 この場面を見て、恐ろしさを感じた。
 だが、ベルトルッチ監督は「何も感じなかった」。
 労働の災害を、働く者はどのようにして乗り越えるか。
 それは、個人の努力、自己責任だけでは解決できない。
 識字教育、情報のリテラシー
 国の教育によって担保できるものでしかない。


 その教育を無くして、効率を高めようと資本が労働者を搾取する。
 労働には男や女の区別がない、そういう労働へ転嫁する時期。
 そういう捉え方が、この映像には見られない。


 監督が、どんな労働観をもっているのか。
 労働よりも家族観とセクシャリティに注目しました。
 家庭団らん、家族の食事風景がとても印象的でした。


 労働が、主なテーマです。
 しかし、労働の喜びに繋がっていきません。
 結果と成果が、働く者に伝わってこないのです。
 これが、20世紀の労働だったのか。


 男女の営みの中、少年が介在してくる。
 そこで、男はその少年を殺めます、
 それでもその男女は、長らく生活を共にする。
 この描かれているシーンが、まだ頭に残っている。
 精神的な支え、宗教的な部分の描き方が、
 とても薄かったような気がします。

 
 すべて、セクシャリティの部分に重きを置いた
 視点で、作品を仕上げたためではないでしょうか。