部落差別をこえて

部落差別をこえて   臼井敏雄   朝日新書  2010年


 
 全国水平社創立から88年、33年間に
 
 わたる同和対策事業が終わって8年。

 でもいまだに消えない差別のまなざし。





 そこで生きる人たちは、それとどう向き合って、

 どんな思いでいるのか。現在の被差別部落の姿と、

 取り巻く状況を、33人の人たちが語る。

 ___ 差別の消える日のために。





 はじめに

 政府が同和地区と指定し、同和対策事業の対象にした地域は、

 1993年の調査では全国で約4500ヵ所にのぼった。

 そこに住む人たちは合計で200万人余りだった。同和地区

 という言葉は、被差別部落を指す行政用語である。「混在が

 進んだ」「住民が指定に反対している」などという理由で

 同和地区に指定されなかった部落もあるから、部落の数は

 もっと多い。






 以上文中から







 「こえて」という言葉に突き動かされて、毎日を過ごしている。

 高齢、若者といった、見た目の先入観にとらわれないで、
 
 自分の手でじかに触り、自分の眼で確かめよう。

 「こえて」の言葉に、そういう意味が含まれているように感じる。




 
 前回の「岸和田紡績と朝鮮人女工さん」のワークから、

 部落ってなんだろう、その疑問から読んでみた。

 本当は、その前の時代のはなし。

 地域で生活するうえで重なる、多くの困難になる環境、

 その具体的な状況を知りたいと思った。





 いつの時代のことなのか、わからない。

 江戸時代なのか、平安時代なのか。

 旅をするに、時間とお金が相当かかる、そういう時代。

 旅は、そもそも贅沢三昧。

 食べ物や着物の苦労もない、裕福な人しか旅のできない時代。





 簡単に移動できない頃の、貧しい者は動けなかった。

 その時代には、その地域の縛りがあったに違いない。

 土地と深く関わっていた頃の、ひとと環境(土地)の

 関わりを知りたいと思っている。






 住民票や戸籍、これらは本当に大事なものだろうか。