Johnny Mad Dog

Johnny Mad Dog 2008年   フランス映画

監督 ジャン=ステファーヌ・ソヴェール


内乱中のリベリア

反政府軍「デスディラー」は、略奪や強かん、殺人を繰り返していた。






https://www.youtube.com/watch?v=jvLS8tIjIkM







ネットに投稿されていた。

Johnny Mad Dog を検索し映画を見る。

字幕がないということは、英語なんだろうか。

台詞の意味を理解するのは、重要なことではないと思う。



戦闘シーンは、実写か演技だろうか。

悩ましいほど、臨場感が溢れている。

スタッフだけでなく、エキストラも経験に即して

撮影に協力したのではないか。




いつもの映像から受ける、戦闘と異なる印象を受けた。

素早く洗練された、規律ある戦闘シーンを期待する気持ちと、

全編に流れる、戦闘員の発する奇声から、

目的のない攻撃、勝算のない戦闘を感じる。




法を無視したやくざのよう、戦闘の後に省みない無手勝流、

エネルギーを発散させるかのような動きに感じ取られた。

軍隊に秩序があるようで、冷静な反省というものみえない。

少年兵の放つセリフが、怒鳴っているかのように見えて、

コミュニケーションとしての会話が、ひとつもない。

そういった、若さのもつ、突進的で破滅的な行動を思わせる。



高校教師の夫妻を脅し、金品を巻き上げようとするシーン。

怯えつつ冷静に、戦闘員の恫喝に対処しようとする夫婦。

教える仕事を果たした後で、少年兵にとって、

教師は、人としての重みはないようだ。




この戦の展開を見て、この次の次、日本の戦争では、この

ような戦いが生じるのではないかと思う。

若者と、老人たちの戦争が起こっても不思議ではない。




元々教育の成り立ちは、歴史の受け売りでしかない。

過去のすべて受け入れて、人が歩まなければいけないというのは、

歴史に登場する当人にとって、単なるお仕着せに過ぎない。



いつまでも、兵士として若者が、立ち上がってくれるとは限らない。

困窮から抜き出そうと、戦闘に加わるという動機付けだけでは、

やっていけなくなる。



少年兵が、笑みを交わす人間関係を築くとか、組織のなかで

新しい自分を発見するとか、家族をつくるという展開は、描かれなかった。

戦闘に少女が加わるという流れもなければ、女性や家庭というものがない。



劣悪な生活を少年たちが、強いられているなかで、彼らの身の回りを

みると、道路の階段・家の構造物などインフラ設備の良さに驚かされる。

家族を持たないのは、少年兵だけではないのか。

テーマとして男女関係を持ち出して、投げかけているように感じた。