尼僧物語

尼僧物語 1959年  アメリ
THE NUN'S STORY

監督 フレッド・ジンネマン
原作 キャサリン・ヒューム

出演 オードリー・ヘップバーン
   ピーター・フィンチ


ベルギーの尼僧ガブリエラは、コンゴの植民地で医療活動を行っていた。




http://www.youtube.com/watch?v=UufhueetoS0







制服を着たい。
小学校に通い始めたとき、ランドセルや帽子、
さらにユニフォームを憧れたかもしれない。


思春期や青年になっても、まだ皆と同じになりたい。
そういう心境になりたいという、気持ちは理解できない。
「それと同じ状況を、日本社会は包まれているが」
   (影の声)


誰が、ヘップバーンかわからない。
群衆の中のオードリーが、画面に登場する。
同じ服装に包まれたオードリーを、見たいファンはいるのか。
衆人の中で、同じ姿勢を同じ演技を強いられるオードリー。


こういう役柄を受け入れたというのは、衆人の中に入っても、
がんじがらめの演技でも、「自己を持ち続けることができる」と、
自分を信じていたということか。
この作品を演じ、作品の先に自分の「将来性」を感じたのだろう。


宗教の普及と医療の施し、それを辺境の土地アフリカにもたらす。
みえるのは、植民地化と隷属。
一日に5度の礼拝、仕事の合間にお祈り。
いま聞けば、あの最初に現われたときのイスラム宗教と同じではないか。


キリスト教と医療技術が、両輪であったことが目に映る。
イスラム教は、医学と結びつかないのだろうか。
政治と宗教がとやかく言われる前に、医療は過ちにつながるきっかけなのか。
私の生で、医療は「絶対」ではなくなった。


宗教に追い込まれるテーマ。
アフリカのネイティブを苦しめるものとして、キリストの世界を感じる。
我々日本人は、グローバルな「宗教観」に苦しめられていない。
がちんがちんの人生として追いつめられる主人公、まじめな尼僧。


宗教や仕事の役割など、まじめに考えさせる映画として、
尼僧物語がある。
どの民族が、この傾向の映画を好むのだろうか。
時代は真剣ではなく、不真面目でもないが要領よく、
立ち回ることが望ましいと思わせる時代になったのではないか。


それと似通ったものとして、脅したり賺されたりしながら、
暮らしている日本人の歴史を想像させられる。


ハードな商品を売ることに専念した、日本の経済成長が次の段階を
迎える。
物に支配されていた時代は、最終章になる。