明日、ママがいない

◆「明日、ママがいない」    2014・1・18   日本テレビ

芦田愛菜 鈴木梨央 三上博史


母親の涼香が事件を起こして、警察に逮捕された。
一軒の児童養護施設に預けられることになった少女、
真希。


◆養護施設協 「明日、ママがいない」抗議会見

  2014・1・21


全国児童養護施設協議会が主催する、記者会見のもようをニコニコ動画で見る。
同会は、日本テレビ系列で放映中の連続ドラマ「明日、ママがいない」の内容に
ついて日本テレビに抗議文を送付しています。


会見の説明と模様を聞いていると、これとは違う感覚を持った。
日本の社会現象をズバリ現していると思え、いまの風俗全般を
捉えて表現する人がいないのを知る。
テーブルの真向かいに陣取っている、髭を生やし既に現役を
退いていてもおかしくない「老年の男たち」ばかり。



原子力村に、年金村、所属村というもの。



彼らの言っていることが感情論であり、それは声に出して
男が語るべき言葉ではなかった。
もし感情論で会見しようとするのであれば、ヒゲはいらない。
涙を流す女性、泣き女を出せばよかった。
彼らの元職歴は、あの風体を見る限り、ほうそう界の関係ではないだろうか。
少なくとも職場に女性が、活躍していない業界だと思う。


テレビを持たないわたしが、偶然この番組「明日、ママがいない」を
Gyaoで観ることができた。
見るはずのない番組、2分ほどたつとスイッチを切りたくなった。
スピーカーと子役の声が、きんきん頭に響く。
あのコマーシャルに欠かせない、大きな音。



テーマをどこに焦点を合わせてきたのか、想像ができない。
子役がわんさかと登場、その子役の演技をじっと見つめるのは、
大人たちなのか、子ども達なのか誰なのか。
テレビを見る人を失くした後の、番組の変遷にしかない。
テレビを見る子ども達に見せるためか、産みの親である両親たちに
養育の大切さを訴えよう、と描かれているのだろうか。


小学校へ通うまで至らない、子役たちの語る、そのセリフを満足に
理解できる、観客はいるのだろうか。
この種のテレビの「観客」は、セルフの読める世代だろうか。
子役たちは、完璧に顔で表情を演技していた。


その演技からテレビを見ている大人たちが、表現されている中身を
反面教師として活用できるだろうかと想像してみた。
観客の代表は、先ほどの会見した人たちでもある。
記者会見に登場した男たちは、両親世代でもない、祖父母の年代の
「労働者・管理者」に過ぎないのだが、会見場ではそんな言葉は交わされなかった。



もちろん、記者会見がなければ「明日〜」は、観なかった。
この映像を誰が楽しむのか、テレビを持たないわたしはわからない。
中国にでも、配給するのではないか。
いまの日本人には、ほとんど理解できない番組になろう。
ちなみに、愛菜の追いかけてくるセリフに泣かされました。