降雪

降雪

福島、若松、小名浜、白川の降雪の深さを比べてみた。福島・白河はおおむね100センチ前後。若松は300センチ前後、小名浜は10センチに満たない年が多い。福島、若松、
小名浜、白川の日最深積雪5センチ以上の日数をみてみる。小名浜の日最深積雪5センチ以上の年間日数は3日、福島、若松、白川の年間日数は20〜50日まで。



東日本原発の被災者が、移住する場所を選ぶ際、山形や新潟を雪深い土地と考え、福島の人たちはそれほど雪に覆われていないかのような印象を受けた。

福島の統計的なデータをみると、主だった気候にいないことを知った。裏返して言うと新潟県、全てが雪深いとは限らない。

北の人の雪に対するイメージと、西日本の人が、庭に降る雪を見る場合と異なる。程度の違いは、積雪の日数にみえる。外界から閉ざされ、家に留まる日数の長さかもしれない。



地球上では、気候変動が起こり、今までの経験と異なる事象が現れている。日本の四季が、いつまでも続いていると思うには早い。

共通の祖先をもつヒトとチンパンジーチンパンジーの生息している地域をみれば、我々人間の本来の生活すべき気候を、指し示しているような気がする。絶滅危惧種に定められているチンパンジーたちは、アフリカの赤道付近に在住している。

彼ら(チンパンジー)の求めている気候を温存し、増やすことに思い至らなかったヒト。地球の気候が温暖化傾向にありながら、チンパンジーの生息分野を増やすことができなかった。



雪という存在が、生活する川と同じように、我々が生きていけるか死ぬかの指標を示す、役割を果たしているかもしれません。食べ物はおろか飲み水、目のまえにある“空気”のありがたさを311後、我々は肌で感じました。

堅牢な家で快適な生活をしたとしても、所詮、空気や水の源は自然そのもの。自然を支配するといっても、ヒトは作れない。雨や風・雪の果たす役割を、ヒトが換わってするのは不可能。

いかに、ヒトとして己の使命をわきまえていないかがよくわかる。顔にあたっては幻のように消える雪、ヒトは一足飛びに、地球の生れた時代に戻れるものではない。ヒトとしての力のなさを認めるべき時だ。

2011年から、東日本において、雪は別な意味で、人の苦しみを緩和させる役割をするようになる。放射能は風や雨によって、移動するが、そのスピードは人が歩くようにのっそりとのっそりと動く。



雪も水・空気と同じ、放射能を移動させる媒体として働くのだろうか。