テレビで放送された映像作品

 テレビで放送された映像作品を、連続して鑑賞


テレビを見なくなって、3年あまり。
流れる映像に、なにか生温かいものを感じる。
次に登場するコマーシャルを、待ちわびているかのような、
スローなテンポの運び。


放映を見る、こちらの方が集中できない。
映像作品が録られた音は、放たれた嬌声の連続。
雑音か、それとも若さらしさの表れ。


テレビ映像は、それ自身独特なものか。


会場は、テーブルの備わった映写室。
後ろには、ふたりのひそひそ話。
それが、数分と続く。


何のことはない、彼らは映画館を知らない。
テレビは見るもので、作る対象として捉えない。
企業やメディアが作るもので、音楽のように流すもの。
表現体として、学ぶ対象として考えない?



連れしょん、連れだって歩道を走る自転車。
何のことはない、「彼らは」ひとりで歩けない。



個人が作り上げる、表現の場であることを考えない観衆。
作品その中で、何を取り上げたのか掴もうとしない。
いつまでも見てもらえると、あなどる発信側。
風景のように、ちらっちらっと画面を見ては、
知ったかぶりをして、通り過ぎる観客。



テレビ視聴が無料という関係が、まるで時間は無制限などと
間違った解釈をしてしまうのだろうか。