折鶴お千

折鶴お千   1935年  日本
The Downfall of Osen


監督  溝口健二
原作  泉鏡花
出演  山田五十鈴
    夏川大二郎



サイレント映画
雨の万世橋駅にたたずむ二人。



字幕はありますが、映る時間が短く読めません。
さらに、読めない漢字もあります。



チンパンジーを思い出しました。
赤い・黄色い画面と、漢字の「赤」・「黄」。
同じ部類のものとして、判断することができる。
赤い画面の後に、「赤」と書かれた文字をクリックします。



「赤」と描かれたものが、赤の意味を表すものと理解してい
ないかもしれません。同じく画面に表示された、1〜9の部分
を1から9まで、順番にクリックしていきます。最初が1で、
最後が9にあたる。それを伝えるために、チンパンジーへど
う教えたのだろうか、考えさせられます。



外国映画では、話し言葉がわからなくても「声の調子」が伝
わる。声が聞こえなくても、その場面の音響や奏でる音楽が
その画面の感情を表わしているのです。
このサイレントには、その音さえない。



音のない、字が見えない、映像を観ました。それらしき風俗
は、なんとなくわかりましたが、その歴史となるとまったく
分かりません。



寺の住職が仏像を海外に売り払って、女性を囲むこと。
地域の信徒さんは、怒らなかったのでしょうか。日常にこま
かなこだわりは、なかったのでしょうか。



同じ様な図で、盗賊一味と住職が住まいを共にします。中に
手下として宗吉を使います。同じ家で生活をする。



後にお千は、宗吉と弟のように生活を共にします。今なら、
周囲から散々やり込められる、二人の関係になるでしょう。
しかし、そうなりません、誰も疑いの視線を向けていなか
ったのです。



日本語の字幕は、読めない。
音声、音楽がきこえない。
それでは、映像の中身がくみ取れないのです。




映像表現が、いかに素晴らしくできていても、
観客の理解には限界、障害として日本語があります。
観客の意に添わなかった、映画館(弁士なし)があったと
いう歴史を「亡き親」と振り返りました。