日本の黒い夏
日本の黒い夏 2000年 日本
1995年初夏、長野県松本市。
高校の放送部では、一年前に起きた「松本サリン事件」での冤罪報道を
検証するドキュメンタリーを制作することになっていた。
訪れた先は、地元のローカルテレビ局だった。
この当時では、冤罪と報道という区分ができていた。
それから20年経つと新聞の地位、続いて公営テレビと不信感を与える。
311が起こる。
冤罪は、たまたま起こった出来事という印象があった。
それが続いてくると、検察機構、裁判のやり方を考えざるを得ない。
ついにマスコミ・メディア、検事・裁判に修正機能が働かないことに気がつく。
冤罪が続いてくるには、それだけの日本の土壌がある。
人権の意識が、欠けている・・・、シャラップ発言。
世界から笑者扱いされていても、気にならないガラパコス国。
日本国憲法を改悪、世界から後ろ指さされても生きていけると信じている。
世界に信用されない国の、誰が商品を買おうとするか。
秘密保護法に突っ走ろうとする、社会に。
国会、検察、警察、司法、自治体、官僚、メディア。
人権にかかわる事業は、もう日本に必要はない。
TPPで迫ってくる、経済の津波に覆われるのをじっと我慢するのみ。