大理石の男

大理石の男   1977年  ポーランド
Mans of Marble L'homme de Marbre

監督 アンジェイ・ワイダ
出演 イエジー・ラジビオビッチ
   ミハウ・タルコフスキ
   クリスティナ・ザコヴァトヴィッチ
   ビョートル・チェシラク

1976年のポーランド
アグニェシカは、ドキュメンタリー作品としてテレビ局で仕事をするようになった。
彼女は、50年代の労働英雄の姿を描くことで、その年代の人々や周囲の状況を
伝えようと思い、調査のため博物館に入った。



http://www.nicovideo.jp/watch/sm8220722



ビルクートは、戦後ポーランドで統一労働者党員のデモンストレーションに参加し、
煉瓦積の新記録を打ち立てた。
そこから、話が展開する何を思ったか、福島第1原発の様と重ね合わせてしまった。


夜の10時になっても神戸の街は蒸し暑く、9月の半ばになっても涼しくならない。
地球から自然が奪われていく、四季がなくなっていく。
映画を観るという行為に、167分保てる意欲が必要だった。


読後会。
視聴後ミーティングをするという約束で、眠らずに観ることができた。
次回につづく。


ポーランドという国の成り立ち。
社会主義的な面、一部分の映像にしか、興味が出てこない。
ポーランドを別な面から、見てみてみたい。


労働英雄の足跡を探す、アグニェシカは自ら働こう( 映画作り )と努める。
しかし、第3者的な立場から抜け出そうとせず、主人公ビルクートの煉瓦積みに
ついての”労働の考察”を試みようとはしない。


その原因は、アグニェシカが好んで知的労働者であろうとしており、彼女が
女性の立場から飛び出そうとしないこと。


社会主義社会など組織を作っては、新しい階層を育てあげ、労働の本質についていけない
人々を増やしていく。
いうならば、新しい知的労働者として、”専門家”という階層を頂点に讃える。
「労働」、そのものとかけ離れた、存在でしかない、専門家。


煉瓦から鉄へ、
牛から自動車へ、
社会を動かすのは、人でしかできない。


映画に映されている、労働観。
煉瓦積みの労働が、いかにたやすいものであるかのような描きかたをしている。
煉瓦積工の立場になりきれておらず、何枚煉瓦を積み上げてきたかという、
数字のみに目を奪われていることに気がつかない。
親の世代1950年代、製作時1977年においても「労働」という側面からの
描写はされていないと思う。




http://www.nicovideo.jp/watch/sm8666079




いま求められているのは、モチベーション。