私の旅

私の旅

玉造稲荷神社から歩いて伊勢神宮まで、初詣する行事が昔あった。その後を引き継ぐように、ユースホステル協会が毎年行っている。足に自信があった時、6年連続し参加したことがある。

歩くスタイルが独特で、足が強健であることが条件ではない。高齢者がリピートの主たちで、それを支えるのが学生諸氏という目論見がある。元気な人が真っ先に歩いて、サポートする人が車に乗って応援する、といった類のものではない。

参加者を6人程度の班にして、その班を中心に移動をする。このやりかたを熟知するのに、それなりの経験が必要。考えてみればわかること、この伊勢初詣は総勢100人になろうかという、大きな団体として動く。道行く道路を、数珠つなぎで連なって行くわけにはいかない。

歩くと、いろんな要素でもってスピードが速くなったり遅くなる。その意味で人間的であり、日常でありえないような距離の長さを歩く。3泊4日をかけて、170キロを歩かなければ、初日の出を迎えることができない。

一日およそ30キロを歩くのだから、その行程を同じスピードで歩くことが前提となる。
景色を眺めて写真を撮ってと、優雅な時を過ごせるとは限っていない。少なくとも班の中で、気持ちを通わせて歩けるぐらいの“スピード調整”が必須になる。

ひとつの班の動きによって、他の班が影響され、全員の移動が妨げられる事態になるかもしれない。道に迷った人がいた時、スタッフが対策を講じるまで全員が待機しなければならない。道に行く先の矢印が、道路に表示されているわけではない。班長の判断によって団体行動をとるしかない。

道中で最大の難点なのが、どこで小用を足すかということ。ひとり一人異なって時間を設けていては、前に進まない。風や雪の吹き荒れる冬に、歩くだけでも大変だが、健康であればこそできるのが、歩く旅の原点かもしれない。

立派な旅館に泊まる時もあれば、昔の小学校のような木造家屋で寝泊りをする時がある。男女別の部屋に分かれて、40人ほどが同じ部屋で寝る。布団のある、雑魚寝である。

恐ろしいモノは、いびき。歩き疲れて体が深い眠りに導いてくれる、そのためかいびきの声が大きく聞こえる。聞かされている方は、早く寝ようと焦るが苛立つばかり。どんな場合でも強いのは、リピーター、酒を飲んでは先に寝込むことを考えている。

確かに睡眠は、明日の英気を養うために必要ではありますが、神経質になることはない。。頭を休ませることができなくとも、身体を横たえているだけで回復する。あえて寝ることもない、じっとしているだけでいいではないかと自分を慰める。いつのまにか眠りに落ち込んでいます。

いつまでも記憶に残っている旅です。旅を共にした人と、長いお付き合いをしたいものですが、旅で出会った人のように、遠ざかってしまいました。